SEQUENCE4−発端― |
少年騎士は自分の肘と膝を乱暴に擦った。 夜半になると、間接が疼き出す。 痛みで眠れぬ夜もあるが、むしろこの痛みを歓迎していた。 急激な成長に、追いつけない部分が上げる軋み。この数ヶ月で身長が10cm以上伸びたし、痛む体は、まだまだ大きくなれると確約してくれる気がする。 理想としては、自分の上司と肩を並べられるくらいになりたいが、まあ、筆頭魔導士程度でもよしとしよう。 今は少し動きに不自由するが、先を考えれば我慢できた。 冷え始めた春の宵に、肘を庇うように抱え込みながら、ガゼルは街を歩いている。 騎士団の門限はとうに過ぎている。だが、一日走り回って、ついに掴んだ有力な情報を確かめずにいられない。 期待で有頂天になりそうなものだが、心は晴れない 少しだけ、重い息を吐く。 久ぶりに回った、幼馴染達の家の変わり様に、どうも気分が沈んでいる。 自分が夢に向かって突っ走っている間に、彼等の生活はかなり変わっていた。 ある者は、親と意見が合わず、失踪する前からほとんど家を出ているような状態だったり、可愛い笑顔の少女は、悪い男に騙されて、その目が覚めない内に姿を消していた。 一旗上げるのだと息巻いて、忠告すら聞く耳持たなかったものもいた。 誰もが、これからの自分を探して、焦ったり、足掻いたりしていたのを、周りの大人たちは理解しきれず、彼等もまた、己が心情をぶつけるばかりで、歩み寄りはしない。 当然起こる衝突。 彼らは、関係を修復しないまま、姿を消した。 目標を持ち、それを追いかける事のできる環境で、わき目も振らずに没頭できていた自分が、いかに幸運だったかを、目の前に突きつけられた。 だからこそ見つけだしてやりたい。 ほんの一つのボタンの掛け違いなのだ。理解しあえない筈がない。 自分にもそんな焦りは覚えがある。叶う筈の無い恋に功を焦り、先走って大尉に迷惑をかけた。今以上に子供だった。何もできないのだと、まだ何の力も無いのだと思い知らされたあの時。 その想い人は今、春風の中で微笑んでいる。 それでも、もう痛みは無い。今自分を支えてくれている人がいるから。 だから、彼らを探し出し、せめて自分が支えてやれたら、少しは良い方向へ流れるのでは無いかと思うのだ。 奢りかも知れないが、それでも、何かしてやりたい。 決意を込めて、痛む足を前に出す。 「ガゼルではありませんの?」 涼やかな声が少年騎士の足を止めた。意外な喜びに笑みが浮かぶ。 「エルディーア」 つつましい司祭の衣を纏った女性が、足早に彼のもとへ近づいてくる。 「やっぱりガゼルですのね。どうしたの?こんな時間に」 浅葱色の長い髪が、小首を傾げる仕草で、さらさらと音を立てる。 ガゼルはさり気無く周りを見回し、誰も居ないのを確かめると、少しだけ声を落とした。 「お前こそ、どうしたんだ?ノーチェ」 彼女の隠された名を、そっと唇に載せる。年上の女は、嬉しげに微笑んだ。 「ご病気で神殿に来られない方の為に、家々を回ってきた帰りで……あっ」 言い終わらないうちに、ほっそりとした体は、少年騎士の腕の中に引き込まれていた。 まだほんの少し彼の方が小柄だが、女は頬を染めて少年に寄りかかる。 「こんな遅くまで、女が一人で歩くなよ。危ないぞ」 一丁前に説教する少年に、思わず小さな笑い声が漏れた。 「私に何かできるような男がいるのなら、それは貴方ぐらいですわ」 艶を帯びた甘い声で囁かれ、今度は彼が赤くなった。 「ば……馬鹿言うなよっ!俺は、何も……」 慌てて離れようとするが、しなやかな手が背に回り、逃がしてはもらえない。 碧眼に悪戯な光が宿る。 「何も?本当に?」 「…………しました……」 「よろしい」 仲の良い姉弟の様に笑いあい、睦言の続きの甘い言葉が交わされる。 二人は、冬の初めのころから、こんな関係になっていた。 傍から見れば、年上の女が無垢な少年を手玉にとって、つまみ食いをしていると言われかねないが、ノーチェが居たからこそ、自分は騎士に成れたのだとガゼルは感謝している。 親友が、とある事件で正体を見破り、その上で、この国で静かに過せと見逃した、ダリスの女間者『白鴉』 親友を通じて二人は知り合った。 そしてノーチェは、はるかに年下の恋人を、一人前の、いや、それ以上の男にしようと、己の持てる技量の全てを注ぎ込んでくれる、大尉と並ぶ、もう一人の師匠ともなっている。 糟糠の妻、などというくすぐったい言葉が頭を掠めるが、なんにせよ、まずは自分が誰にも認められる騎士に成らなければ、こんな人目を忍ぶような立場から脱出できないし、年が上なのを気にするノーチェを、安心させてやる事もできない。 ガゼルが奮起しなければならない、もう一つの理由である。 「……ガゼルは、何かお仕事なの?」 軽く唇を重ねた後、ようやく気が済んだらしい女が、尋ねてくる。 「そうさ、隊長直々の調査任務だぜ」 単独での仕事を与えられた嬉しさを、得意げに話す恋人に、同じくらい喜んだ女は、だが最後の言葉に、眉を寄せた。 「これから船着場に?」 「ああ、ナノッシュが船に乗るって言い捨てて飛び出してるんだ。それに、あいつの行きつけの店の仲間が、船着場の倉庫の仕事で人を探しているって話を聞いてる。行ってみれば、何かあるかも、って思ってさ」 山間の小国であるクラインだが、大きな湖の辺にある王都には。港といっていいほどの船着場があった。 海へと繋がる河は、少し大型の船でも航行が可能なほど広く深いため、数多くの物資が水路を通って運び込まれる。 そして、クラインの主生産物資である農作物が、河を下り各地へと運ばれ、国庫に外貨を齎す。 交易路を持つことにより、商業が発展し、更なる繁栄の兆しが見えていた。 その表玄関となっている船着場には、大小さまざまの倉庫が立ち並び、あたかも小さな街のようになっている。そのうちの一つに、何か手掛かりがあるかもしれない。 「まあ、こんな時間だぜ、真っ当な商人がうろうろしているはず無いし、もしうろうろしてる奴が居たら、真っ当じゃないんだから、そのまま隊長に報告する。何も心配することなんか無いんだぜ」 不安そのものといった表情で見つめてくる恋人を、安心させるように、ガゼルはにやりと笑って見せた。 「それに、何かあっても、切り抜ける腕はあるつもりだぜ。ちょっとは、前より強くなったつもりだからな」 「ちょっとだけはね」 「たは……」 恋人としては大甘でも、師匠としては厳しいノーチェである。 同期の新米騎士達の中では、かなり頭角をあらわし始めている彼だったが、有事に生き残れるかといえば甚だ心許無い。 「私が、お手伝いしましょうか?」 つい口に出して、すぐに後悔した。なんと傲慢な言い方だろうと。年上であり、技量が上なのを笠に着ているような気がしたのだ。 しかしガゼルは、大慌てでその申し出を断った。 「よせやい、女房連れで偵察する奴がいるかよ」 「え……?」 思わず目を見張り、棒立ちになる。 そして、うっかり本音を言ってしまった少年騎士は、真っ赤になって駆け出した。 「あっガゼル!?」 「俺行くぜ。そうだ。俺が船着場に行った事、隊長の耳に入れといてくれ。その後はまっすぐ神殿に帰るんだぞ、いいな〜」 偉そうなことを言い置き、走り去る恋人の後姿を見送りながら、ノーチェはなんとも満ち足りた笑みを浮べた。 『女房』という言葉に夢を見るなんて、自分には有り得ないと思っていたのに、あの年下の想い人は、自分を何もかも変えてしまったらしい。 愛するものと歩く未来、当り前の女のように、それを指折り数えて微笑む日が来るなんて、今でも信じられない。 未来の夫の言付を守ろうと、ノーチェは騎士団に向かって歩き出した。 そして彼女は、この時、何故付いて行かなかったと、後悔する事になる |
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