SEQUENCE9―殲滅―

船着き場では、数人の男に周りを囲ませた男が、奇態な形の杖に縋って、よろよろと船に向かって進んでいた。
さほどの年には見えない壮年の男だが、片足は擬足のようだ。そして無事な方の足も弱り、杖に縋る腕すらも、弱々しく痙攣(けいれん)している。しかし、その目だけはぎらぎらとむき出しにされ、あたりを(ね)めつけていた。
「は…はやく行かねば…あれを移すんだ…まったく…お前等に任せたわしが間抜けじゃわい…」
ぶつぶつと愚痴りながら、よろける足元を助けようとする手を払い除ける。
「いらん!あの若造め…この侭で済むと思うな…」
誰に向けての恨み言か、周りの男達は、頭目の怒りに身を竦ませていた。
―――清き水、麗しき大地を総べる女神よ…――――
「あんな新参者に遅れを取るようなわしではないぞ…あのお方さえ目覚めれば、すべてはひれ伏さざるをえんのじゃ…」
男の怨嗟の呟きは、もはや口の中でぶつぶつと繰り返され、回りの者にも不明瞭になっている。
―――慈悲の腕、しばし留め、我に浄化の地を与えよ―――
護衛の男が、妙な気配を感じて首を巡らせた。
慌ただしく出港の準備をする船員達を、月が照らしている様が見える。
「こんな事でわしが終わるはずが無い…あの方は約束してくれたのじゃ…わしが…」
男の愚痴はまだ続いている。
護衛は軽く肩を竦めた。
―――我は汚れし大気清める者。我はその地を総べる者―――
「何じゃ…?」
奇妙な気配と共に、あたりの空気が変わってきた事に、ようやく男が気付いた。(おこり)の様に震える首を伸ばして、回りを見回すが、自分よりはるかに背の高い護衛達の身体に阻まれて、ようやく近くに組まれた、荷揚げ用の(やぐら)の尖塔しか見えない。
だが、事態を飲み込むのには、それで十分と言えた。
何故なら、その尖塔の上に、在る筈の無い人影が立っているのを見止めたからだ。
川風に長い髪が揺れる。
月を背に、一つに高く結い上げられ、背に流した髪を弄らせるままにして、その人影は大きく両手を広げた。
―――我に従いし地よ、我は名付けん――
「こ…殺せ!あいつを殺せ!」
いきなり喚き出した剣幕に、護衛達が色めき立つ。
しかし、既に術は完成した。
最後の呪文が紡がれる。
―――コロッセウム―――
その場に居たすべての人々が、その異変を感じ取った。
微妙に空気が変わり、キン…と硬質な音が響いたような気がした。船の高いマストの向こうに瞬いていた星が消え、十六夜の月だけを残して、夜空が深い群青色に変わる。
川風も止まり、そよとも動かぬ空気の中、頭上から轟々と風が逆巻く音だけが響いてくる。
船員達にも感じ取れたらしく、船の方からも動揺したざわめきが聞こえてきた。
船さえも含めて、大規模な結界に閉じ込められたのだと、その場の全員が理解するのに、それほど時間はかからなかった。
頭目は、尖塔に立つ人物を睨み据え、口から泡を吹きそうな様子で喚き散らす。
「おま…お前がなんでこの術を使う!?こんな、こんな…!」
騒ぐ男に、笑いを含んだ静かな声が返される。
「自分の術を使われて、悔しいみて〜だな。ええ?下法使いのギョーム」
月を背にし、逆光となって顔は定かではなかったが、楽しげな声に、その男が笑っているのは明らかだった。
「この…泥棒め!わしの術を何時盗みよった!?」
櫓の上の男が肩を竦める。其処だけ風が吹いているのか、長い髪が生き物のように(ひるがえ)り、月光に照らされて華麗な蒼い波紋を描き出している。
「人聞きの悪い事言うぜ。魔導戦で使った術を読み取られたら、それを使われたって文句は言えねぇってのは、一般常識だぜ。この術は、お前さんの左足と一緒に、俺が貰ったのさ」
事も無げに笑う男に、下法使いのギョームと呼ばれた頭目は、奥目の小さな瞳に、明らかな恐怖を浮かべた。
「お前は…化け物か?」
一口に術を読み取ると言っても、生易しい事ではない。
ただ呪文を覚えるだけなら、一度聞くだけで済む。しかし、魔法は呪文だけではないのだ。言葉を紡ぐのと平行して、魔力を練り、言霊(ことだま)を強め、更にそれらを完全な形に纏め上げる強いイメージを、意識の中に作り出さねばなら無い。高度な魔法になればなるほど、それらは複雑で、容易(たやす)く読み取れるものではなく、これらは繰り返し使う様を見て、魔力の流れを体感し、やっと習得できるものの筈なのだ。
桟橋と帆船、そして荷揚げの広場全体を覆い尽くすほどの大規模な結界である、それに、これは普通の結界とは訳が違う。
『コロッセウム』
神話時代から伝わる、遥か古代における神々の闘技場の名を付けられた結界は、その中での一切の魔力の発動を無効化する。純粋に剣と力での戦い以外、この中で決着を付ける術はないのである。唯一使えるものが在るとすれば、魔力を物理的な形に変えた、木偶(でく)傀儡(くぐつ)ぐらいなものだが、(あらかじ)め作っておかなければ意味を成さない。
こんな魔法を、過去一度見ただけで読み取ったと言うのだから、確かに、化け物の一種と思われても仕方がないだろうが、筆頭魔導士は、さも嫌そうに眉を寄せた。
「ひで〜言いようだな。世の中には、『天才』っつ〜言葉が有るだろうが。でもな。わざわざ使う必要も無かったみて〜だな。俺が返した呪詛(じゅそ)食らって、がたがたじゃねぇか。杖が無けりゃ、立ってもいられねぇ。無様(ぶざま)だよなぁ」
常の物言いそのままに、人を食ったように笑う。
「盗人猛々しいとはこの事じゃ。若造が」
口惜しげに吐き捨てる下法士に、(あざけ)るような声が返される。
「どっちが盗人だよ。人間盗んでるのはそっちじゃね〜か?お前等の口車に乗った馬鹿共でも、一応クラインの人間だ、返してもらうぜ」
その言葉に、下法士がはたと船を見た。同時に、船に乗っていた一味の一人が、荷箱に駆け寄る、手には大剣が抜かれていた。下策とは言えど、もはやこの荷物を人質にするしか逃れる術はない。
「いけ、あれらを盾にしろ」
動きのいい部下に気を良くして、下法士が(わめ)く。護衛達も一人を残してばらばらと船に向けて走り出す。
しかし、箱に剣をかざして脅しに使おうとした男は、短い悲鳴と金属音と共に、利き腕を押さえてうずくまった。
宙を飛んだ大剣がその遥か後ろに突き刺さり、ゆらりと、大きな影が月光の中に立ち上がる。
「お?見せ場作ってくれるねぇ」
櫓の上で魔導士が肩を竦めた。
剛剣を下げた騎士は、ただ無言で回りを見渡し、軽口への答えとした。、
天下に名高い、剣豪レオニス・クレベールの眼光の前に、男達が目に見えるほど怯えた顔色になる。
怯んだ男達の前に、更に数人の騎士達が現れた。
よく見れば、皆装備は濡れていないまでも、その髪からは(しずく)(したた)っている。隠密裏に湖を泳ぎ、船へと乗り移っていた事が察せられた。
荷積み作業に感けて、誰も侵入に気づかなかったのだろう。
騎士達は荷を囲むように立ち、一味の男達と水夫達を威嚇する。
「婦女子、並びに人身の売買、嫌疑は明白だ、おとなしく縛に付け」
厳かな正騎士の宣言に、小波の様に動揺が走った。
「まさか・・」
水夫の一人が小さく呟く。尋常な仕事ではないと薄々考えていたものの、人身売買に荷担させられていたとは、考えていなかったらしい。
「俺達は関係無い。何も知らなかったんだ!」
甲板頭らしい水夫が、一味の男達を指し示して喚き出した。
「こいつ等に騙されていたんだ!」
必死の弁解に、他の船員達が同調する。俄かに騒然とする甲板に、騎士の声が静かに、しかし、有無を言わせぬ口調で返される。
「ならば手出し無用。罪科の有無は、取り調べの後判断される。お前達は投降すれば良い」
承服できない水夫達が色めき立つ。
たとえ正騎士と言えど、たかか数人。結界を張っている魔導士を含めて10人にすら満たない。対して、水夫を含めれば、三倍の数となる。
相手が剣豪だろうと、数に勝れば勝機は在る。
保身に浮き足立った男達が、同じような考えに至ったのはあたりまえと言えた。
「こ…殺せ!殺しちまえ!」
誰かの叫びと共に、てんでに獲物を握った水夫達がわらわらと広がった時。頭上から、笑いを含んだ声が浴びせられた。
「人攫い共をとっ捕まえるのを手伝ったら、御目溢(おめこぼ)しっつ〜のがあるぜ。筆頭魔導士シオン・カイナスが保証する」
安請け合いする魔導士に、騎士が渋い表情を向けたが、これで形勢が一転した。
騎士達に向けられていた対抗意識は、あっさりと一味の男達へ方向転換し、水夫達は我先にと一気に躍り掛かった。
荷を守るだけが仕事になった騎士達は、水夫と一味が、殺し合いにならない様に気を付けつつ、櫓の上で簡単に人心を操ってみせた魔導士に視線を移す。
月を背にして立つ魔導士の姿は、逆光で表情すら定かではない。相変わらず、風に長い髪を弄らせたまま、魔導士は下法士を見据えていた。
口元には笑みを浮かべてはいたが、その眼光には射殺さんばかりの力が込められ、窮地に立ち、一層肢体を震わせる下法士の様子を映している。
レオニスには彼がどれほどの期待を持って、下法士の口を開かせようかと、猫が魚を目の前にしたようにほくそ笑んでいるのが手に取るように判っていた。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけどよ、相手がお前さんだってんなら、この御粗末さも当たり前だぁな」
嘲り笑う魔導士を下法士は怨嗟の目をむけた。
「お前のような若造に遅れを取るなど、わしも落ちたものじゃ…」
食い縛った歯の間から、声が絞り出される。
「その若造に、尽く負けっぱなしじゃねぇか。御前試合でも、ここでもな」
下法士はあくまでも嘲る声に、更に奥歯を食い縛った。
栄光を約束されていた筈の人生を、根底から攫っていった、あの日の笑い声が、魔導士の声に重なって聞こえる…
数年前、前筆頭魔導士がとある事故によって落命し、空席となった地位への後任には、二人の魔導士が推挙された。
一人は実力も高く、広く名を知られていた有力貴族お抱えの魔導士ギョーム。もう一人は、皇太子が自ら推す名も無い若者。
最年少で緋色を拝命している事と、自身が名門カイナスの一員という以外、名誉と誇れるものは何も持たない青年だった。
しかもシオン・カイナスには、上官殺しなどという疑惑もあり、生家からは絶縁され、それを良い事のように浮き名を流しつづけているなど、なんとも素行に問題がある。
誰の目にも、どちらが次期筆頭魔導士にふさわしいかは、明白に思えた。
元老院がギョームを決定しかけた時、国王が双方の実力を見たいと望み、二人は御前試合の場ではじめて顔を合わせたのだ。
見るからに優男の青年を、ギョームは頭から馬鹿にしていた。しかし仮にも御前試合である、対戦相手が如何に物足りなくとも、国王に自分の実力を認めさせる為に最大の魔法である『コロッセウム』を使い、用意していた木偶二体をかからせた。
しかし、その柔な外見とは裏腹に、青年魔導士は戦場仕込みの剣妓であっさりと木偶を(ほふ)り、そのうえ彼の片足すら切り取ってみせた。
同席していた元老院達は、勝敗の行方よりも、まざまざと見せ付けたギョームの魔力の才を賞賛し、剣技のみに頼った青年の蛮勇を非難したが、この御前試合には、別の狙いが隠されていたのだ。
 非難と中傷の声を尻目に、青年は不適な笑みを浮かべて、国王に発言の許しを請う。
前魔導士は、魔法を封じられて暗殺された疑いがあったという。
血刀を弄びつつ、今と同じ声音で、次々と証拠を(あげつら)い、彼の罪状を暴いていった、小生意気な姿が思い出された。

「この俺様が、あんな間抜けな挨拶ぐらいでびびると思うなんざ、お門違いも甚だしいぜ。そうそう、前途有望な若者にも、酷ぇ事してくれたよな。呪詛の残りだ、返すぜ。今のてめぇから、貰う物なんざ無いかな」
 言いつつ右手が一閃した。
 風斬り音と共に、ガゼルから抜き取ったナイフが下法士に向けて飛ぶ。
 ぐさりと、ナイフは太い腕に突き刺さった。下法士にではない、のそりと腕を伸ばして主を庇った護衛の腕にである。男はそれを無造作に抜く。
 魔導士が呆れたように肩をすくめた。
「木偶・・・いや、傀儡か?やれやれ、相変わらず大層なこった」
 そよとも動かぬ大気の中で、船上の喧騒を抜けて、魔導士の良く通る声が響いてくる。
「意思のある人間は、傍に置くのも怖いか?進歩のねぇ男だなぁ」
 笑う声音に、彼の全てを奪い去り、下法士という名を付けられた、あの瞬間が重なる・・・
「殺してやる・・・お前なぞ、殺してやる・・・」
 主の声に呼応して痛みも感じぬ様子で、呆然と突っ立っていた護衛が、ボウガンに矢を番え、櫓の上の魔導士へ向けて射つ。
 だが、その矢は空中で二つに分断された。
 剛剣を振り下ろしたレオニスが、油断無く構えを直す。
 船上の騒ぎを部下に任せ、頭目を捕らえるべく降りてきていたのだ。
「お前の目論見は全て(つい)えた。神妙にしろ」
 その言葉への返答は、投げつけられたボウガンに表された。
 難なく避ける騎士へ、第二打として分銅が飛ぶ。咄嗟に柄で弾き、間髪を入れずに突き込んでくる剣を鍔元(つばもと)で受け止める。
 力任せに押し退けたところへ、飛び離れた男が繰り出す鎖分銅の横薙ぎが襲い、騎士は後ろに跳び退(すさ)ってこれを避けた。
 如何な剛剣であろうとも、鎖分銅の一撃を受ければ、折れないとも限らない。生身に受ければ骨も砕けよう。そしてそれこそが分銅使いの狙いなのだろう、休む間も、間合いを取る隙も与えずに、甲高い鏑鳴りを響かせて分銅を飛ばす。
 剣を持つ片方の腕からは鮮血が染み出し、ぽたぽたと滴り始めているが、そんな痛覚など持ち合わせてはいないようだ。
 魔導士の嘲りそのままに、意思を奪われた傀儡なのは明白である。腕を落とし、首を切られたとしても、体内に魔力による操り糸を埋め込まれた男の攻撃が止まるとは思えない。
 分銅を避けつつ、レオニスは一瞬の機会を待った。

「何をしとる、さっさと殺せ!」
 魔導士を殺したい一心の下法士が、逃げ回る騎士に業を煮やし、男に罵声を浴びせた。ほんの僅か、男の動きが鈍る。
 それを見過ごす騎士ではなかった。
 即座に踏み込み、咄嗟に繰り出された鎖分銅を剣に絡めて受け止める。相手の反応が遅かった分、分銅の威力が削減されるのを見越しての事だが、唯一の武器を封じられ、なかば相手に捕らえられたも同じ、男がにやりと笑った。
 ぴんと張られた鎖に力が篭められ、男とレオニスの間で、綱引きのような形となる、しかも相手には、まだ自由になる剣があるのだ。力比べに負ければ、男の剣が騎士を貫くのは必至である。
 だがレオニスは、相手が鎖を引き、剣を突き出してきた時、あっさりと業物を手放した。
 勝ったと思ったのだろう、男の剣は騎士の胸元へと一閃したが、レオニスは剣帯からはずした鞘でその平を弾き、間髪を入れずに鞘で剣を巻き返して払い、踏み込みつつそのまま手首を返して剣を持つ腕のナイフで受けた傷を強打した。
 さすがにこれは効いたらしい。
 鞘を後ろに投げ、一瞬動きの止まった男の右脇腹へ拳を打ち込み、すかさず剣をもぎ取ると、そのまま後ろ手に捻りあげた。そしていつの間に引き寄せたのか、男が掴んでいたはずの鎖を、二の腕を捻り上げる様にして、相手の上半身に巻きつけた。膝を蹴り払い、倒れた背に自分の膝を落とし込んで、鎖の端を引き上げる。
 鮮やかな捕縛術であった。

「お疲れさん」
 いつの間に下りてきたのか、護衛を縛り上げる騎士の傍へ、魔導士が歩み寄る。
「これで、てめぇは丸腰だ。どうする?走って逃げるか?その足で」
 唯一の守りを失い、呆然とする下法士へ、冷たい笑みをむける。
 首を廻らせ船を見ると、一時の喧騒も収まり、一味が水夫達によって縛り上げられている様子が察せられた。
「てめぇらしい終わり方って感じだな。大仰な割には、中身がスカスカだ。ま、わざわざ挨拶してくれたから、俺達も相応の対応をさせてもらったって訳だ。義理堅いよな?そういゃあ、おもれ〜事も言ってたなぁ。太陽が如何したって?ゆっくり聞かせてもらうぜ。王宮の地下牢、久しぶりで懐かしいだろう?今度は、破って出られると思うなよ」
 月光を落しこんだように、琥珀の瞳が光を帯びる。
 形の良い眉が、僅かに寄せられた。
 全ての目論見が潰え、失意で我を失ったかに見えた下法士の肩が、徐々に震えだしたからだ。
 やがてそれは、くつくつという含み笑いになり、痩せぎすの顔に、何とも気味の悪い笑みが広がる。
 護衛を縛り終え、放り捨てた剣と鞘を拾い上げたレオニスは、失意のあまり気が触れたかと(いぶか)った。
 それは魔導士も同じらしく、つまらなそうに肩をすくめる。
 だが、常の余裕の笑みは、下法士の言葉で凍りついた。
「太陽・・・のう。確かにそうかもな、わしにまで力を与える、良い肌じゃった」
 魔導士の端正な顔から、一切の表情が消え失せた。
 その様は、下法士にとって、実に嬉しい事の様だった。笑いの感覚が短くなる。
「何の事か判るようじゃのう?」
 あまりの言葉に、レオニスの眉間に深い皺が刻まれる。強く踏み出して下法士を睨む騎士の前に、魔導士の腕が伸ばされ、激昂しかけるのを静止する。
「脳味噌の腐った爺ぃが、何処ぞの売女(ばいた)の話をしてやがる」
 抑揚の無い声が、戯言にしようとしている言葉を裏切っていた。
 下法士は、一矢報いたかのように勝ち誇った声をあげた。
「売女か・・・さもあらん。娼婦とは、もともと神に仕える巫女の仕事よ。我が巫女は、真に良い巫女じゃ。若い女子の肌は、若返りの神通をもたらしてくれよるからのう」
 ひくひくと笑いの発作に引きつりながら、醜悪な笑みを晒す。
「神のご意志じゃ。元々、おぬし如きの手元に置くには惜しい巫女よ。二度と(まみ)えると思うなよ。期が満ちれば、おぬしもクラインも、消えて無くなるのじゃ」
 含み笑いは哄笑となり、狂ったような甲高い笑いが、神経をささくれ立たせる。 
 レオニスの眉間に更に深い皺が刻まれ、魔導士の腕を払いのけようとした時、何かがはじけるような気配と共に、一瞬で全ての音が戻ってきた。
 川風が頬をなぶり、魔導士が結界を解いたのだと判る。
「シオン様?」
 レオニスは、まるで闇そのもののように静まり返った魔導士を見た。その表情は見慣れぬ無機質なもので、魔導士の飄々(ひょうひょう)とした軽い言動の下に隠された、本来の姿を見た気がした。
 対して下法士は、得たりと杖を振り上げ、自由になった魔力を使うべく短い詠唱を放ったが、一瞬早く、魔導士の抑揚の無い声が響く。
 なんと言ったのかは、騎士には判別できなかった。それは酷く不気味な響きを伴う、意味の無い言葉の羅列のようで、地の底から響く呪詛のように聞こえた。
「おぬ・・・・それを・・・何処・・・禁呪・・・」
 苦しげな下法士の声に騎士が振り返ると、あたかも空中に張付けられたかのように、矮小な片足の男が四肢を伸ばして硬直していた。その全身から、霧のような(もや)が立ち昇り、男の姿を霞ませる。
 魔法には知識の無い騎士にしても、禁呪の意味は判る。筆頭魔導士の元には、通常では禁忌とされる魔法が管理されると知ってもいる。しかし、実際にそれが行使されるのを見るのは初めてであった。
「言わねぇなら、見せてもらうぜ。てめぇの巫女とやらが何処にいるのか・・・洗い浚いな・・・」
 いつしか魔導士の元には常の如き皮肉な笑みが浮かんでいたが、抑揚の失せた低い声と、ぎらつく琥珀の双眸が、彼の怒りを表している。
「く・・・あ・・・」
 呻き声が靄の中から発される。そして靄には、何か白く蠢く影が映し出され始めた。
 白い影はやがてはっきりと、たおやかな曲線を描き出し、華奢で小柄な女が浮かび上がる。
 恍惚とした表情と、焦げ茶色の髪が揺れるのを見たとき、レオニスは咄嗟に顔を背けた。
 幼さの残るその顔は、よく知った少女のもの。
 溌剌とした笑顔の似合う筈の娘。
 淫らな娼婦とは相容れぬ面影が、彼に正視を拒ませた。
「レオニス。目を逸らすな!」
 最もその映像を見たくないであろう魔導士が、鋭い命令を発する。
「シオン様・・・」
「記憶なんて物はな、いくらでも摩り替えれるんだ。何処の売女でも、顔を変えて思い込むのは簡単さ・・・」
 禁呪とまで言われる魔法が、嘘の記憶を映し出すはずが無い。判ってはいたが、魔導士の言葉に乗り、再び絡みつく女の映像に目を戻した。
「こんなくだらないものいらね〜よ。さあ見せろ。それは、何処(・ ・)、だ?」
 女の姿の上に、うっすらと建物らしき影が被さり、次第に色合いを強め、白い影がかすんで消える。暗い街の情景は、夜であるらしく、建物の姿もはっきりはしない。
 しかし、その中に特徴的な形を見つけた騎士は、魔導士に向かって静かに頷いた。
「判ったか?」
「見当はつきました」
 何故自分にこの映像を見せたのか、意味が判った。
 皇太子側近として、あまり王都を離れたことの無い魔導士よりも、各地に遠征に出ることの多い騎士の方が、地方の町に詳しい。
 目的の少女が、王都に居ないのは確かだった。だからこそ、魔導士は詭弁すら使って見続けさせたのだ。
 レオニスは、静かに息を吐いて、先刻の映像を頭から追い払った。
「すぐに摘発の準備をします。勿論、御同行されますね?」
「ったりめ〜だろう・・・」
 吐き捨てる声と共に、魔導士の手が一閃し、不意に靄が風に吹き飛ばされる。
 どさりという音を立てて、下法士が膝をついた。
 だがもう、その両目には、明確な知性の光は無く、虚ろな(うろ)となって虚空を見つめている。禁呪によって無理やり記憶を引きずり出され、人格を壊されたのだ。もはやどんな尋問をしたところで、何も聞き出すことは出来ないだろう。
 禁呪の使用は違法である。だが騎士は、沈黙を(も)って肯定とした。
 あの情報は、それだけの価値があり、男の罪状は、打ち首にするよりも、廃人として牢内で朽ち果てさせるのに相応しい気がした。
 冷たい嘲笑で下法士を見据える魔導士の、常に無いほど冷え切った真の怒りを感じる騎士の耳に、倉庫街へ向かわせていた部下達が、走ってくる音が聞こえていた。


 捕縛は上首尾に終わり、人数の増えた騎士団によって、『御目溢し』を盾に取る水夫達も絡め捕られた。
 囚われていた若者達も、下法士の破滅によって呪縛を解かれ、事情を聞く為に同行させられていた。
 ガゼルを指したあの少女は、呪詛の影響を魔導士に取り除かれ、夢から覚めたようにぼんやりとしている。おそらく少年騎士の事は記憶には残っていないだろう。
 縄を打たれた罪人たちを引き立てて騎士団へ戻る一行は、やがて川沿いの道に差し掛かった。
 木陰に長身の白い姿が現れ、待っていたらしく片手を挙げる。
 先頭近くを歩いていた女司祭が、それに向かって走り出した。
 大尉と魔導士も一行を止めて木に近づく。
「先生、ガゼルは?」
 不安げに訊ねる女へ、医師が肩をすくめた。
「私の出来る事は、もうありませんね」
 そっけない言葉に、女の顔が曇る。
「おいマイルズ。その言い方はね〜だろうが」
 呆れたように言う魔導士に、医師はつまらなそうな顔を向けた。
「シオン。他にどう言えと?応急処置は完璧です。今夜あたり熱は出るでしょうが、後は寮に連れて帰って、自分の部屋に寝かせる以外、私の仕事はありませんよ」
 騎士団の名物医師はそう言って銀髪を掻き揚げる。
 女司祭がほっとしたように、木陰に寄りかかった少年騎士に歩み寄った。
「確か、担架を用意していた筈ですね、こちらに回して貰えますか?」
「あ〜悪ぃ。それふさがってるぜ」
 廃人となり、自力で歩くことも出来なくなった下法士を振り返って、魔導士が肩を竦める。
 振り向くその目が妙に底光りしているのに医師は気付いたが、何も言わずにため息をついた。
「怪我人を放っておくつもりですか?」
 騎士が苦笑しながら木陰に歩み寄る。
「私が運ぼう」
 静かに言い、ガゼルの前に背を向けて屈み込んだ。
「良い心掛けですね」
 相変わらずそっけない物言いで、医師は少年を抱え上げた。口調とは裏腹に、唯一女らしいと誉められる白い手が、優しく怪我人を騎士の背に預ける。
 部下を背負い騎士が立ち上がる。
「隊長・・・すみません・・・」
 どこか悔しそうな声に、騎士は再び苦笑した。
 負ぶわれた事で、子供扱いだと口惜しく思っているのだろう。
「ガゼル。戦場では滅多な事では担架に乗れる楽は出来ん。そういう時、朋を背負って運ぶのは騎士の習いだ」
 朋、という言葉に、背中の部下がぴくりと振るえた。レオニスは静かに続ける。
「よくやった、ガゼル」
「隊長・・・」
 今度の声には、戸惑いつつも誇らしげな喜びが滲んでた。
 苦笑ではない笑みを浮かべて、騎士が歩き出す。
 
「んじゃ、準備が出来たら報せてくれ」
 進み始めた一行から、魔導士がふらりと離れた。
「判りました」
 他に掛ける言葉も無く、騎士は魔導士の後姿を目で追う。
 蒼い長髪が闇に溶け、月明かりの下でさえ、彼の姿は濃い影のようであった。
 危ういものを感じながら、レオニスは、少女の無事を、心から祈っていた。



第一部捜索編 完
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