The past

<<FUTURE




 俺は、ぼんやりと窓を眺める。
 街灯の光が差し込んでくる。それは、ちらちらと瞬き、更に何か小さな影が舞い飛んでいる。
 雪か...道理で冷えるはずだ...
 凍み込む冷気を感じるような気がする。
 本当は肌寒さなど感じはしないはずなのに...
 部屋の中は暖かい。
 暖炉の火が、湯釜を煮立たせている。もう少し煎じれば出来上がりだな。
 寝台に眠る女は、やっと穏やかな息をし始めていた。
 まったく、らしくないぜ。ここには女を買いに来た筈だ。
 茶色の髪と目の娼婦(おんな)は、よりによって肺病を病んでやがる。で、治癒魔法に薬か...らしくない、本当によ...
 場末の娼婦だ、情けを懸けてやるだけ、苦しみを長引かせるだけじゃないのか?
 まあ、気立ては良い女だ、生きていれば何とかなるだろう。


 雪は、それほど酷くない、だが、明日中に、峠を越したほうがよさそうだな。
 ...そっちにも、雪は降っているのか?
 お前は寒くないか?
 俺は...体の芯が冷えていく...


 暖炉にかけられた湯釜から薬湯を汲む。
 寝台の上の女がぼんやりと目を覚ました。
「どうして?」
「ああ?」
「どうして、こんな事してくれるの?」
 少しぼやけた目が見返してくる。色合いはよく似ている...
「気が向いたんだ。飲んでおけ、楽になる」
「ありがとう...」
 差し出した湯飲みを受け取って、女が起き上がる。肺病特有の、透けるような肌に、血の気が戻ってきている。治癒魔法が効いたらしい。
「変な人だね。抱きもしないで、診てくれるなんてさ...あんたお医者さん?」
「まあな」
「あたい、もうすぐ年季が明けるんだ...こんな時にって思ってたから、嬉しいよ」
「そうか...」
 ただのお節介にはならないらしい。
「釜の薬湯を全部飲んでおけ。だいぶ良くなる筈だ」
「うん...行くの?」
「ああ」
 金貨を数枚取り出して、枕もとに投げてやる。女は驚きの声を上げた。
「こんなに...いいの?あたい、何にもしてない」
「気まぐれさ」
 そのまま部屋を後にする。

 廊下の扉を開けると、途端に雑多な騒音が降り注ぐ。
 踊場から階下を見れば、先刻と変わらない酒場の喧騒が見えた。
 ホールの隅で、派手なマントに身を包んだ奴が、人相の悪い男に絡まれている。よくある光景だ。
 カウンターで火酒を頼み、飲み干す。女の残滓が流れていく気がしてほっとする。
 結局、気を紛らわすどころじゃなかった。苦笑が漏れる。
 この酒の方がマシかもしれない。
 目の端に、まだ絡んでいる酔っ払いが見える。外は雪だってェのに、元気な連中だ。
 何時までてこずってやがるんだ?
 しょうがない、迷惑だろうが、お節介してやるよ。今夜は親切だよな、俺。
 極々小さな風の刃を、酔っ払いの椅子へ放つ。
 椅子の足が一つ砕ける。ぐらりとよろけた酔っ払いは、これ幸いとマントに縋り付こうとした、諦めの悪い奴。だが、派手なマントはするりと抜け出し、男はテーブルを巻き添えにしてすっ転ぶ。
 さて、俺も行くか...


「とりあえず、借りておきますよ」
 酒場を出ると、派手なマントが肩を並べてくる。目深に被ったフードから、若草色の髪が零れ落ちて揺れる。
「よう、ひっさしぶりだなぁイーリス」
 長年の悪友。定住を嫌い、国籍すら捨てて、流浪の道を選んだ男。俺が選んでいただろう、もう一つの道を進む奴...商売道具の綺麗な顔が、訝しげに俺を見る。
「お久しぶりです...ですが、こんな場所で出会うとは思いませんでしたよ。第一、貴方は、ここに居る筈の無い人です」
 まぁ、そうだろうな。
「細かい事はどーでもいいじゃねぇか、久しぶりだ、酒でも呑もうぜ」
「あの酒場に戻るのは、御免被りますよ」
「んじゃ、別の店で仕切り直そうぜ」
 田舎の小さい街とはいえ、酒場は一つじゃない。繁華街の通りに顎をしゃくると、イーリスはゆっくり首を振った。
「酒を2・3本調達して、私の宿で飲みませんか?二人きりでなければ、何があるのか話してくれないでしょう?」
 こいつは珍しい。
「お前さんが、人の事情を聞きたがるとはね...」
 深い飴色の瞳が見返してくる。
「ええ、貴方の、その髪を見ては、聞かずには居れませんから」
 肩の線で切られた髪。俺の唯一の望みを込めて切った髪...
「ああ、そうだな」

 雪は、止む気配を見せない。強まりもしなければ、弱まりもしない。こりゃぁ夜明けぐらいには峠に行ったほうがよさそうだ。
「明日は峠越えですか?」
「ああ、何で判る?」
「窓ばかり見ているから」
 言わずもがなな答えに苦笑する。
 暖炉の熾きを(おこ)した男が、やっとマントを脱いだ。途端に幻想的な吟遊詩人が消えて、あたり前の男になるから、こいつのマントは本当に詐欺だ。
 肴を載せた盆と、グラスをテーブルに置いて、酒の封を切る。
「んで?何から聞きたい?」
 『火酒』の由来の赤い色が、グラスに揺れる。それを見ながら、イーリスは小首を傾げた。
「まぁ、まずはクラインの事など...まだ、ダリスと戦争しているはずですね」
 ダリスとクラインを含む近隣小国の連合軍は、まだ戦闘を繰り返している。その最前線を任されているのは、クライン 筆頭魔導士シオン・カイナス。
 そのダリス戦役の総大将が、何でここに居るか?お前さんが知りたいのはそう言うことか。
「ダリスには、もう、大きな抵抗をする力は無い。戦闘の主力は、反乱軍の王子様に移っているしな。あいつが王位を取り戻すのも、時間の問題だろうぜ」
 総大将とはいえ、シオン・カイナスは魔導士だ、軍の取り纏めは配下の各将軍に任せてあるし、随分前から後方に下がってただのお飾りを満喫している。
「私が伺いたいのは、この一年半の間の事ですよ。姫君と皇太子の駆け落ち劇の後、ほうほうの態で逃げてきましたからね」
 嫌な事を思い出せさせやがる。
「ああ、セイルの奴はちゃんと元の鞘に収まってるぜ。いや、前よりゃ図太くなったな」
「一度地獄の門を覗いた人間は、強いですからね」
「まぁな」
「姫君はダリスに嫁されたとか?」
「取り戻した」

 一度駆け落ちまで腹を括った女は強い。
 姫さんは自分から言い出してダリスへ行った。ダリスの狒々親爺からクラインを守る為に。
 セイルは渋々姫さんを手放した。個人の感情云々を行ってられる状況じゃ無かったからな。だから、俺も姫さんの側近として、メイをつけてやったし、分化前だったが、女官としてシルフィスも同行した。
 姫さんは大した女だよ、見事半年も開戦を遅らせて見せた。その間に俺達は充分とはいかないまでも、しっかりとした態勢を整える事が出来たんだからな。
 開戦と同時に、姫さんは投獄された。メイとシルフィスは、女魔導士とアンヘル族という素性がばれて、やはり捕らえられた。もっとも、それが俺達の狙い目だったんだよ。
 即座にセイルは俺に救出を命じた。
 実の所、兼ねて用意の作戦ってやつさ。
 ダリスの秘密兵器は、女神の大樹から、魔力を吸い上げて、兵器に付加したものだ。その大樹は、城の中深くにあって、容易に近づけるものじゃない。だが、その製造工程に携わる魔導師としてなら、楽に近寄れる。それが女なら、更に油断する。
 腕の中からあいつを危険に向わせるのは、正直身を切られるようなもんだったが、あいつは笑って出発した。少しでも俺の役に立ちたいってな...
 二人は良くやってくれたよ。見事大樹は破壊され、ダリスの国内は混乱した。
 俺達は同時に姫さんを助け出し、戦争は、一気に連合軍の優勢になった。

「俺は、一応セイルから総大将を引き継いだんだが、勝ち戦なんかつまらねェからな、ちょくちょく王都に戻るすちゃらか将軍さ」
 言いつつ酒を流し込む。俺もこいつもザルだからな、二本目の封を切る。
「なかなか、波乱万丈ですね。『全ては女神の(たなごころ)の上』というわけですね。上々の首尾で善かったじゃあないですか」
 古い諺に、むっとする。何が掌だ、しょうもない失敗しやがって...
「上々の首尾...か、まあ、クライン国内には戦靴(せんか)の一つも及ばなかったし、戦争は楽になったしな」
「皆さんもお変わりないんでしょうね」
「ああ、セイルは姫さんを北の離宮に隠棲させて、実質上は新婚家庭だ。前以上の溺愛振りさ、ダリスの狒々親爺、手玉にとって見せた姫さんをだぜ、よくやるよ。レオニスやガゼルは、勿論前線で武勲を増やしている。アイシュは相変わらずで、キールは...驚くなよ。シルフィスが押しかけ女房になった」
 なんだよ、その、判っていたっていう笑い方は。
「そうだろうと思っていましたよ。彼を本の間から引きずり出すのには、相当の腕っ節が要りそうですからね」
 そう言うの、偏見って言わないか?
「で?長いお話でしたね。でも、いい加減はぐらかすのは止めてくれませんか」
 やれやれ来たか...
「メイはどうしています?それに、私は髪の理由を聞いていませんよ」
 飴色の瞳には、なんとなく不安な影が差している。当然感づいているんだろうな。俺は、苦い笑いが浮かんでくるのを止められない。
「髪は、メイにくれてやった...あいつは自分の世界に戻ったよ...」
 イーリスが息を飲む。
「召還魔法が完成したんですか?」
 固い声、俺は首を振る。ちょっと待ってくれ、今更だが声が出ねぇ。
「メイは私に帰らないと言っていました、シオンの傍にいると...なのに何故?シオン、何があったのです?」
 だから、ちょっと待てってんだろ。何度思い出しても(はらわた)が煮えくり返ってくる。気を静めないと怒鳴り散らしそうだ。
 ゆっくり...ゆっくりと、怒りに翳んだ声を絞り出す。

 メイが戻った訳は、大樹が破壊されたからだ...
 前線はダリス東部に移ったまま均衡を保ち、ついでにうっとおしい奴等を何人か、ダリスに繋がっていたという名目で掃除できたから、一段落ってとこだったんだよ。
 半年ぐらい前だな。王都に戻ると、シルフィスが、妙な木の実を持ち出して、ダリスに植えたいと言い出した。
 なんでも大樹の聖霊から預かった、次代の種らしい。
 メイも混乱する街の中で見失った、アンヘルの子供を気にかけていたし、大樹に興味のあったキールも乗り気になったから、四人で出かけたのさ。
 気が緩んでいたんだな...
 大樹の燃え残りの下に行くと、あのチビが立っていた。そしてメイに『時間が来た』と言いやがったんだ。
「アリサ、時間って何?」
 メイはゆっくりと腰をかがめる。俺が煩く言い続けたから、この頃は、急な動きをしないようにしている。いい傾向だ。
 メイの(はら)には俺の餓鬼がいた。五ヶ月だから、安定期だな。お陰で馬車も差し支えない。魔導師が二人居るお陰で、浮遊の魔法で衝撃も和らげたから、ダリスまでの長旅も、安心して来れた。何より俺が傍に居るんだ、間違いなんざ起こさせるか。
 だが、チビの声を聞いた瞬間、俺の中で警報が鳴った。
 だめだ、近寄るな。
「メイ!こっちに来い!!」
「わっ!馬鹿シオン、何すんのよ!?」
 肩に腕を回して掻い込むと、メイがわめく。知った事か、とにかく離れろ!
 キールとシルフィスも走り寄って来る。俺の剣幕に唖然としているようだ。
 だがチビは、平然と言いやがる。
「お姉ちゃんが、還る時が来たよ...」
 同時にキーンと頭の中を掻き毟るような衝撃音があたりに響く。
「こ...これは、召還魔法?」
 憶えのある現象に、キールが呟く。
 だが俺は、腕の中のメイが妙に軽くなった事に愕然としていた。輪郭さえぼんやりと霞み始める。
「えっ...何これ...やだ。シオン!やだ!!」
 脅えて俺の腕に縋(すが)りつくメイの感触は、明滅する光のように、弱くなったり強くなったりしはじめる。俺は、抱きしめる腕に力を込めるしかできない。
「それぞれの世界は、その中で生まれたものと強い絆があってね、それがお姉ちゃんを引き戻すの...今まではママが押えてたんだけど...ママはもう居ない...ごめんね、あたしには力が無い...」
 アリサが詫びている間にも、メイはどんどん霞んでいく。
「「メイ!!」」
 キールとシルフィスが叫ぶが、役に立つわけが無い。
「ふざけるな!!畜生!!」
 俺は横に来たシルフィスの腰から剣を引き抜いた。
「!?シオン様、駄目です!!」
 目の前のアリサをぶった切るとでも思ったか、シルフィスが制止の声をあげる。
 誰がそんな無駄な事するか。
 一瞬だけメイを離し、俺は結い上げた髪を掴み、ばっさりと切り取った。
 剣を投げ捨て、すぐにメイを抱きなおし、更に微かになって行く感触に歯噛みしながら、掴んだ髪を消えそうな手の中にねじ込む。
「シオン...やだよぉ...行きたくないよぉ...」
 髪を握り締め、メイが泣きじゃくる。『還りたくない』ではなく『行きたくない』と言って...
「必ずお前を取り戻す!!俺との絆を持って行け!そして...子供を守れ」
 魔導師の髪には魔力が篭っている。少なくとも、身重のままで放り出されるメイの役に立つはずだ。
 光の粒子に取り巻かれ、輪郭のぼやけた姿で、メイは何度も頷いた。もう声も聞こえない。
 旋風が巻き起こり、メイを取り巻いて渦を巻く。
 風が身体を引き裂くのが感じられた、鎌鼬で開いた傷から血が吹き出す。構うものか、更にメイを抱きしめる。
 俺の髪を握り締め、俺の姿を目に焼き付けるように、瞬きもしないで、あいつは何かを言っていた。唇の動きで解る『ちゃんと産むから。絶対守るから。待ってるから...』俺は、その言葉の一つ一つに頷き返す。
 この俺が、クラインの魔導師の全てを統べるこの俺が、一番大事な女を連れ去られるってのに、何も出来ない。悔しいなんてもんじゃ無いぜ、体から火を噴いて焼け死ぬような気分だ。
 ただ消えていく身体を掻き抱き、微かな感触の唇に自分のものを重ねる。
 そのまま...メイは消えた。
 腕の中で光の粒子が霧散する。
 後には、メイがつけていた香水の薫りが残っていた...

「...情けない話さ...」
 苦笑いしか出てこねぇ。
 イーリスの溜息にも同じ様な響きがある。
「聞けてよかったです。メイは自分から帰ったのではないのですね」
「あたり前だ、もしそんな事になったら、宮廷中の御婦人方を泣かせた意味がねぇぜ」
 我ながら笑えない冗談だな。案の定、イーリスの視線は冷たい。こいつ、メイに惚れてやがったからな...
「それで?何か策はあるのでしょうね。クラインを放り出して、こんな所に居るんですから」
 低い声に、肩を竦める。
「まあ、望みはあるぜ...」
 当てになるか判んねぇけどな。
「それは、何です?シオン」
 言っても良いのかねぇ?こいつのことだ、きっと...ま、いいか。
「メイが消えても、アリサってチビはそこに突っ立っていた。そして、にっと笑いやがったんだ。繋がりが切れないってな...」
「繋がり?」
「ああ...」
 俺は怒り狂っていた。いや、はっきり言って、錯乱していたって方が正解だな。
 だから、笑いやがったチビの、襟首ひっ掴んでぶら下げて、怒鳴ったんだ。どういう事か説明しろってな。
 横からキールとシルフィスが止めなかったら、絞め殺していたと思う。この餓鬼がアンヘルでも大樹の聖霊でも知った事か、だったら尚更何とかしやがれって吼え狂った。
 ああ、見境なんざ無かったね。可哀想にキールは、俺に蹴り飛ばされて吹っ飛んだぐらいさ。
 レオニス直伝のシルフィスが、やっと俺に当身(あてみ)を食らわして、アリサを離した。
 きつい当身だったが、気を失う訳にはいかない。もう一度、説明しろと言った。
「あのね、今お姉ちゃんを引き戻した繋がりと、おんなじような繋がりが、こっちからお姉ちゃんに繋がってるの。細く細くなってるけど、切れないの。お姉ちゃんの体。半分此処の人になってるみたい。貴方が何かしたんだね?」
 俺に喉を掴まれていたくせに、別段苦しそうな顔もしないでアリサが言う。
 当身と、全身に開いた傷の痛みのお陰で戻ってきた理性で、このチビが人外の者だって理解できた。
「胎に俺の餓鬼が居る...」
 その言葉に頷いて、チビが続ける。
「そうだね、それで体が変わってきているんだね。それに、此処の人達との心の繋がりが凄く強いよ。そして、貴方の髪が、お姉ちゃんを守ってる...」
 てことは、少しは役に立ったんだな。
「あのね、この繋がりを手繰れば、お姉ちゃんの場所がわかるよ」
 その言葉に、一縷の望みを繋ぐ。
「取り戻せるか?」
 ちっこい頭は頷かない。
「やってみないとわかんない...細いけど、しっかりした繋がりだから、何とかなるかもしれない...でも、あたしには力が無いの...」
 俯きながらシルフィスを指差す。
「このお姉ちゃんが持っている種があたし...あたしを大地に根付かせて。そして、ママの力を探してきて」
 シルフィスが慌てて種を取り出した。
「お前を、何処に埋めたら良い?」
 時間は無駄に出来ない。
「此処か?お前の母親の下か?」
 焼けた大樹を示す。チビは首を振った。
「此処は駄目。もう大地が穢れている。森の中、清浄な結界の中なら、一番早く根付けるよ」
 キールが眉を寄せる。
「アンヘルの村だ...あそこの森なら、清浄な結界が張られています」
 気懸かりは後一つって事か。
「お前の母親の力てのは何だ?」
宝玉(オーヴ)...昔、ママが作ったの。次の種に代わる時、力が継承できるようにって...」
 初めて聞く、何だそれは?
「女神の宝玉(オーヴ)...アンへルの言い伝えにあります...何処にあるかは...詳しいことは長老に聞かないと...」
 シルフィスの言葉で、行く先は決まった。すぐに取って返そうとして、俺はそのまま、意識を失った。
 目が覚めたのは北の離宮だ。キールが言うには、失血の所為で死にかけたらしい。
 既に10日が過ぎていた。
 安静にしろとしうキールは無視して、丁度来ていたセイルに、筆頭魔導師の辞職届を出してやった。
 そうしたら、あいつ、なんて言いやがったと思う?
 筆頭魔導士は、前線と王都を往復しているから、少々姿が見えなくても、誰も気にしない、とさ。
 逆を言えば、戦争終結までに帰って来いってわけだ。あいつもしつこいよな、俺を手放す気はないとさ。
 アリサは姿を消さずに同行していた。
 再び四人でアンヘルへ直行だ。シルフィスのじいさんの長老に話を聞き、それらしい物が東の国にあるらしいって事までは判った。
 そして森の奥、種を埋めて、アリサは消える時にこう言った。
「宝玉は、あたしとおんなじ波動を持ってるの。貴方なら、手にとって見れば判るよ...」
 この手で掴んだチビの首から感じた波動だ。忘れやしねぇ。
 ついでに、嫌な事も言いやがったな。
「体が変わっているから、お姉ちゃん、向こうで大変かもしれない。急いであげて...」
 それは俺も心配していた。メイがこっちへ来た時、キールが毎日補助魔法を使って安定させていたほどの強力な魔力だ。そこに、俺の餓鬼のが加わる。俺の髪がどれほどの守りになるか、自信はない。
 だが、あせっても仕方がない。
 研究院に戻り、宝玉の詳細と行方を調べ、ついでに二次策として、召還魔法を完成させるっていうキール達と別れて、俺はそのまま旅に出た。

「東の国に、それらしい物はあった。だが、数年前に起った戦争のドサクサで、神殿から盗まれていた...さっそく盗賊ギルドに渡りをつけて、頼りない情報を集めて、山三つばかり向こうの国に行く途中って訳さ...」
 長いような短いような物語。聞き終わった途端にあいつは頷く。
「判りました、手伝いましょう」
 そうら来た。
「らしくねぇぜイーリス。他人には干渉しないんじゃなかったのか?」
「他人ならね、関わりたくもないですよ。でも、メイや貴方は友達です。それに、彼女には命を助けてもらいましたから」
 言い出したら聞かない男だ。まあ、こいつと旅をするのも悪くないか...院に居た時、いつか旅をしようと言ったこともあったな、こんな形で実現するのも、妙な気分だが...

 夜明け前。勘定を済ませてくるというイーリスを待ちながら、一足先に宿を出る。
 雪は止んでいた。これなら峠も楽だろう。
旋風(かぜ)のシオン」
 嫌な通称(とおりな)聞いちまったな、こんなことを言う奴はあいつ位か...
「ウルグ。お前さん、しつこいぜ」
 路地から顔色の悪い小男が現れる。
「悪いねぇ、御頭の望みなんでね」
「ホモ親爺に言ってやりな、いい加減しつこいと嫌われるぜってな」
 歪んだ口がにやりと笑う。
「ってことは、未だ嫌っちゃいなさらねぇって訳ですかい?」
「俺は義理堅いんでな、親爺が情報をくれるのは恩にきているぜ。だが、片腕に欲しいってのは、御免被る」
「まーた振られちまった」
 盗賊ギルドの使いっ走りは、業とらしく肩を竦める。喰えない男だ。
「で?今度は何だ」
「ハイシュの港町で、とある商人が曰く付きのお宝を手に入れたっていう、噂だそうですぜ」
「売ったのは親爺か?」
「さてねぇ...」
 何にしても、方向は変わらないな。
「礼を言っていたと伝えてくんな」
「まだ、あるんでさぁ」
「何だよ...」
 こいつの笑い顔は汚いから嫌いなんだ。
「二つ前の街で、地回りの一家を一つ、ぶっつぶしなすったよねぇ」
「人助けさ」
「追っ手が掛かってやすぜ」
 やれやれ...
「お前等他にする事ねぇのかよ。女より質が悪いな」
「あんたが魅力的すぎるんでさ」
「気色悪い...」
 ウルグの気配が消えた。相変わらず素早い男だ。変わりに、不細工なほどあからさまな殺意が回りに寄って来る。
「もてる男は辛いよな...」
 最近は男にばかりだが...溜息しか出ないぜ。
「シオン・フジワラか?」
 旅の上での俺の名が呼ばれる。ざっと16・7人か...
「満ち満ちし怒りの大気よ、今こそ吾が手に集まりて、刃となせ」
 返事の代わりに呪文を唱える。
 危険を察知した男達が、手に手に獲物を振り上げて襲いかかってくる。
 遅せぇんだよ、雑魚が。
 俺の紡ぎだした風魔法は、一気に男達をなぎ倒す。
 続け様に同じ呪文を唱え、鎌鼬に切り刻まれた連中が、白い雪の上に、赤い花を散らす。
 そう言えば、俺の花達は、まだ咲いているんだろうか...?
 詮無い事を思い出す。
 腕を切り落とされた男が、のた打ち回っていた。
「早く魔導士の処へ連れて行ってやるんだな。今なら、未だ腕がくっつくぜ」
 言い捨てて歩き出す。もう追ってこようなんて度胸のある奴は居ないらしい。
 角を曲がると、ウルグが笑っている。
「それじゃぁ、お達者で」
 通り過ぎる俺に、それだけ言う。片手を上げて返事にした。
 街外れへ向うと、何時の間にかイーリスが横に来る。
「相変わらず、物騒ですね、貴方の周りは」
「相変わらず、綺麗に避けるなお前さんは」
 言い合って互いに笑う。
 ふと、昨夜の酒場をイーリスが見た。
「昨夜は、娼館で、お楽しみのようでしたね」
 酒場の上が娼館になっている、よくある造りの店。あの女はよく眠れただろうか?
「男ってのは、可哀想な生きもんだからな」
「一括りにしないで下さい。冗談ですよ、あの栗毛の娘は、私も気になって居たんです。嫌な咳をしていましたから」
 肩を竦めるイーリスに、俺は苦笑する。
「髪も、目も、よく似ていましたね...」
「まあな...さぁ、行こうか?」
 うっすらと明るくなりだした稜線を目指して、俺達は足を進める。
 旅の仲間か...悪くはない。

 目指す街に、宝玉(オーヴ)があるとは限らないが、俺は進んでいくしかない。
 何時になるかは判らない。だが、俺は必ずお前を取り戻す。
 さっさと宝玉を見つけ出して、あの、女神見習のチビの力を引っ張り出す。
 必ず迎えに行く。
 俺はあの時、子供を守れとお前に枷を掛けた。戦う理由があるなら、お前が挫けない事を知っているから。
 お前の中の小さな命が、お前を支えてくれる。それだけを祈る。

 待っていろ...メイ...
NEXTCONTINUATION?