Present tense



「満ち満ちし怒りの大気よ、今こそ吾が手に集まりて刃と為せ」
 少しハスキーな、良く通る声が呪文を紡いで大気を集める。
 女より綺麗な長い指が閃き、放たれた風の刃は、相手の身体を引き裂く。
「なーんだ、雑魚か…」
 骨董店の前で、あいつはつまらなそうに言い放ったっけ。
 かっこいいって思ったわ、素直に。ちょっと怖かったけどさ。
 その後、あたしを見て、『大丈夫か?』って聞いてきた。
 自分は怪我してたくせに。
 妙に無邪気な笑い方するのよね、10も年上で、腹に一物も二物も持っている食わせ者なのにさ。
 死体を前に平然として、骨董屋と話すのを見て、ああ、この人は平気で人も殺せるんだって思った。
 思ったけど…同時に、辛そうに見えた。
 殺せるけど、殺すのは好きじゃないんだって判った。
 あいつの事を、何となく意識し始めたのは、あの時から…
 クラインは言うなれば中世時代。剣と魔法のファンタジックな世界だから、あたしみたいに、ドラマの中ぐらいしか、人が死ぬところを見たこと無いなんてこと無いのよね。
 もっと人間が荒々しくて、もっと物騒で、結構位の高い人だって、剣で切りあいしたりする。
 あの殿下だって、テロリストから自分で身を守ったりしてたもんね。ま、あたしもファイアーボールぶちかましたけど…
 不思議だなぁ…
 あたし、そんな世界に居たんだよねぇ…何時の間にかしっかりと腰据えて、友達増やして、まるで生まれたときから居ますってな顔して、馴染んでた。
 みんなも結構すんなり受け入れてくれたよね。
 規格外のお姫様のディアーナ。妖精みたいに綺麗で不思議なシルフィス。元気なガゼル。幻想的な雰囲気と、がめつい精神のイーリス。理想の王子様の殿下。
 とことん優しいお兄ちゃんのアイシュ。無愛想なのに本当はとっても面倒見の良いキール…あっちでのあたしの家族…お母さんは元気かな?
 いつも難しい顔していた隊長さん。ごめんね、プロポーズ断っちゃった。貴方に恋していたら、今どうしていたかなぁ…
 でも、あたし、その前にあいつに逢ってたから…一番嫌いなタイプのはずなのに、一番あたしに近い奴。
 見た目全てが嘘で固められてて、そのくせ全力でつっぱって、殿下守って生きている奴…
 余裕無いくせに、何であたしに手を出したの?
 一度訊いたことがある。
「お前だけが、俺を癒せる。泥沼の中に平気で踏み込んできて、俺を暖めてくれる」
 臆面も無く言うんじゃないわよ。
 あんたのそう言うところが嫌い。
 本音を隠したがる性格が嫌い。
 底意地の悪いところが嫌い。
 軽い口が嫌い。
 実力と経験で、余裕を持ってる態度が嫌い。
 綺麗な顔も、綺麗な身体も嫌い。
 『嬢ちゃん』って呼ばれるのが大嫌い。
 でもね…
 …真っ直ぐ見詰めて来る、琥珀の瞳が、好き。
 静かで、やわらかな微笑が好き。
 優しく抱きしめる腕が大好き…
 あんたの、存在そのものが嬉しい…
 シオン…なんであたし達、離れてるのかな?
 いつも隣を歩いていた。
 見上げるくらいに高い背に、あの長い蒼い髪が揺れる。
 綺麗だけど、ちゃんと男らしい大きな手が、あたしの背中に添えられて、ストロークの差で早足になりかかるのを、さりげなく助けてくれる。
 ずーっとそうやって、一緒に年をとっていくんだと思ってた。
 あんたきっと、おじさんになっても、じーさんになってもカッコイイわよ。
 それでさ、反抗期の息子と大喧嘩するのよ。あたしらの子供だもん、きっと一筋縄じゃいかない奴だと思うから、いい喧嘩が出来るわ。
 勘当したって、自力で這い上がってこれる奴に育てようよ。
 ねえ、そうしたら、きっと楽しい…
 なんで息子って判るか?
 だってお医者さんに聞いたもん。超音波で姿も見たのよ。
 順調、順調。  母子と共に健康…の予定。
 白状すると、ちょっと辛い。
 このごろ、死ぬほど眠いのよね。
 増血剤もらってきたわ。
 あはは…
 あれぇ?誰かが呼んでる…
「…イ…芽衣」
 恵子みたい…
「芽衣。しっかりしなよ」
「恵子…」
 ここ、何処?白い部屋。
「まだ病院。入り口でぶっ倒れたの、憶えてる?」
 そういえば、ものすごく眠かった。
「ぼけてんねぇ…一応点滴したのよ」
「そっかぁ…」
 定期検診につき合わせた上に、心配させちゃったな…
「ごめん、恵子。迷惑かけたね」
 あたしの前向き友達の恵子。怖い顔して睨んでくる。
「姉ちゃん!それは言わない約束だろう?」
 妙な科作って、新派な芝居すな。
「誰が姉ちゃんなのよ」
「あんた。ほらほら、一応、あたしゃリュー君の彼女だしぃ」
 そう、そういう冗談がまかり通ってたわよね。
「よく言うわ…その気もないくせに」
 理由は知ってる。もっと脱力もの。
 (とーる)の話によると、
学校で、うちに入り浸る恵子に、あたしとの関係が噂になったらしい。女子高ってそう言うのもありだから…
 で、そこで恵子は言い放ったそうな。
「あたしはショタだ、だから弟のほうが良い」
 何を言い出すやら…
 五歳年上で、180p以上で、金持ってて優しい美形っつー理想はどうなった?
 もっと正当でみんなを納得させられる真実があるでしょう?って言ったら。
「笑えないじゃん」
 あ、そうですか。
 友よ何故(なにゆえ)に、 ()えて茨の道を突き進む…?
 こいつの冗談は、時々シオンのより(たち)が悪い。
 けど…判ってるんだ、ほんとはね。
 医者から妊娠中毒の疑いまで掛けられるほど、どんどん体が弱っていくあたしを放って置けない。だから、最近は住み込みに近いくらい泊り込んでくれている。
 大事な親友。
 今の状態を、みんなに話したとして、意味の無い同情や、噂の種にしかならない。
 そんな奴等はなんの役にも立たないから、何を言おうと気にしやしないけどさ、恵子はそれを善しとはしないのよね。
「で?どうする。お医者さんは泊まっていけって言ってるけど」
 入院かぁ…無駄だよね。
「いい、(うち)帰る。結界の中じゃないと辛いから」
 キールがくれた補助魔法の魔方陣で、結界を張った家。あの中だと、息がつける。
 あたし達は病院を後にしたんだけど…


 真夏の駅前って最低。
 恵子がタクシー見つけに行っている間、木陰のベンチで一休み。
 こういう時、車が無いと不便よね。ま、しょうがないか…
 駅前公園の噴水で、子供達が遊んでる。今夏休みだもんね。
 ねぇ坊や、あんたも出てきたら、噴水で遊びましょうね。
 そうそう、王宮の噴水も綺麗だったな…一度、こけて落ちたことあったっけ。そうしたら、あんたのお父さんは盛大に笑ってくれたのよ。
 でも、あたしがぷんすか怒ってると、水の中から抱き上げて、自分も濡れちゃうのに、そのまま執務室に連れて行ってくれた。
 タオルと着替えまで貸してくれて、冷えただろうって、お茶入れてくれて…
 …そう言えばあたし、こっちに戻ってから、紅茶飲んでないな…
 シオンのお茶が、飲みたいな…
 うーん…また眠くなってきた。
 あれ?誰だろう?あたしの前に誰かが立ってる。
 眠いけど、気になる…
 目が霞む。よく見えないな…でも、男の子だ。あたしと同じくらい?黒い髪に黒い目。顔つきは、なんだか日本人じゃないみたい…
「君がメイ・フジワラ?ふうん。これ、シオン様の髪だね。どうして、君みたいのが、あの人の加護を受けてるのさ…許さないよ」
 何?なにを言ってるの、こいつ?何故シオンを知ってるの?
 眠くて体が動かない…問い詰めてやりたいのに。
 もどかしい…
「さしずめ子供の父親はシオン様?女好きだからね、あの人は。でもついにヘマをしたって訳だ。どうせ、この髪の毛もらって、待っていろとか言われてるんだろう?でもさ、きっとそれって言い訳だね。待ってても無駄さ。ま、この髪が、もっと薄い色だったら、僕も焦ったけどね、たぶん」
 薄い色の髪って、殿下?…冗談じゃないわ、ディアーナに殺される。
 何で体が動かないの?悔しい。このボケナスを睨みつけて、蹴りの一つでもお見舞いしなきゃ気が済まない。
 シオンが髪を切るってのが、どれほどの事か判ってるの?誰かの前で髪を解く事さえ、特別な意味があったのに…
 あの時、ざんばらになった髪を突風に掻き乱し、鎌鼬(かまいたち)に全身を切り裂かれていても、あたしを抱きしめたまま、安心させる様に笑って見せた。あの姿を忘れない。必ず取り戻すといった言葉を忘れない。
 あんたなんかに判るもんか。
 瞼が開かない、体が鉛の様。ボケナスのあざけるような声は、まだ続いている。
「う〜ん。だいぶ弱ってるねぇ。君、魔導士なんだ。良かった、苦労した甲斐があったよ。この分なら、もうじきだよね、君が死ぬの」
 ちょっと。楽しそうに、悪趣味な事言ってない?
「お望みなら、今引導渡してあげても良いんだけど…」
 ごそごそと、何か探してる。何?こいつなんなの?
「あはは、ざ〜んねん。ナイフ忘れちゃったよ。ごめんね」
 あははじゃないわよ。こいつ、やばい。滅茶苦茶やばい。
 まともじゃないぞ、どっか切れてる。
 こういう時は、三十六計逃げるにしかず。
 だけど体が動かない。
 もう指一本どころか、瞼を揺らす事さえ出来ない。
「あ、そうだ、別にわざわざ血を流す事も無いよね。ええっとぉ確か、首の動脈と、気管を何分か押してれば、死ぬよね。やったげるよ、今暇だし」
 こらっやめろ気違い。
 そいつが覆い被さってくる気配がする。
「君は僕に、殺されたって償えない事をしたんだよ。これが当然なんだ」
 笑いを含んだ声が耳元で囁く。
 両肩に、掌の感触がする。
 ぐいっと身体が揺らされる。
「うわっきゃあ!!」
「わっ!」
 ……あれ?
「恵子?」
 あたしの大声に、尻餅付いて恵子が見詰めている。
「びっくりしたぁ」
「ごめーん、恵子」
 なんだ、夢か…
 身体だるいと、ろくな夢見ないな…
「いいよ、うなされてたし。車捉まえたよ、行こ」
「うん」
 帰ろ帰ろ、早く帰ろ。


 茹だるような暑さの中、やっと家に辿り着く。
 入った瞬間、ふぃっと体中から重みが抜ける。
「はぁ〜〜」
 思わずタメイキ。いやぁ、きついっちゃねぇ…
 あたし達を出迎えてくれたのは、無数の植木鉢と観葉植物。
 恵子は入る度に『壮観壮観』って言う。毎度言ってて飽きない?
「今日、プランターがひとつ届くんだ」
「藤原邸内緑化計画は順調だわね」
「うん」
 あたしは最近、家中に観葉植物を置いている。
 勿論ガーデニングも続行してる。
 すべて、子供を守るため。自分が生き延びる為。
「ま、こいつ等があんたを守ってるんだもんね」
 ゼラニウムの葉っぱを突ついて、恵子は笑う。
「まーね。キールのお蔭よ」
 クラインから戻ってきて、初めのうちは、自分が疲れ易いのは、妊娠と環境変化の所為だって思ってた。
 体調整えて、体力つければ、何とかなるってね。
 でも、体の不調はどんどん進んで、貧血も頻繁に起こるようになった。このままじゃマジでやばいって思ってたら、キールからの手紙が届いた。
 そこには、あたしと子供の魔力の所為で、この世界との折り合いが悪くなるだろうって書いてあった。
 それでやっと判ったの、これは、体の拒絶反応なんだって。
 でも、曲がりなりにも、ここはあたしの生まれ育った世界。あっちの世界から、あたしを引き戻すほどの、強い干渉作用を持つ世界を、どうして体が拒絶するの?
 答えは、結構意外なところにあったのよ。
(しお)の流れは帝都の(うるお)い、蒼き竜神(りゅうじん)の守護の許、黒き大地の玄武(げんぶ)に帰る、(ジャイ)っ!」
 居間のテレビから、元気な声が飛んでくる。
「あ、お帰り」
 手持ち無沙汰にテレビを見ていた弟が、ボケた顔してこっちを見た。
「リュー君アニメなんか見てるの?」
 呆れた声に、苦笑で答える。
 こいつ時々、すっごく大人っぽい笑い方をするようになった…
 背中にアニメかかってなけりゃ、きっとかっこいいと思うぞ。
「まあね。これのおかげで家中が木だらけになってるかと思うと、けっこう面白いよ」
 最近人気の美少女アニメ。風水具現術ってなものを振り回す「桜」って主人公が飛び回る。
 そうそう、偶然これ見て、風水ってのに興味持ったんだった。
 おりしも世の中は風水ブーム。
 猫も杓子も風水で、魔導士っていう商売柄、そういう関係に興味が無いわけじゃないから、あたしも本を読んで見た。
 風水っていうのは、陰陽(いんよう)と、五行を安定させ、任意の形でその力を引き出すこと。これって、ワーランドの魔道の考え方と似ている。
 五つのエレメント「風」「地」「木」「火」「水」すべては循環し合う連鎖の輪。
 輪は和に通じて、このバランスができた時、光と闇の均衡は保たれ、あらゆる生命力を活性化する。
 綺麗な水晶球を想像したら判りやすいわ。
 治癒魔法はここから水や木の力を媒体として、魔法を受ける人の生命力を活性化させて、傷を治したり病気を治したりする。
 逆に武闘魔法は、そのエレメントの和を崩して、特出した力を相手にぶつける事。言うなれば、水晶玉を砕いて、尖った欠片が武器になるみたいなものかな?
 …ほんとう、キール様々ね。
 こんな知識を、頭に叩き込んでくれたんだもの。
 で、あたしの世界っていうか、今住んでいるこの街は、このバランスが滅茶苦茶悪いってことに気がついたの。
 実際、ここには「火」と「風」のエレメントしかないんじゃないかってぐらいよ。
 他の「水」「木」「地」はとてつもなく微弱なの。
 それで、あたしの身体は拒絶反応を起こしてたって訳。
 どうしてそうなのか、なんて知らないわ。
 クラインは、そのバランスが良かったのよね。
 あたしが武闘魔法得意なのって、こんな街からあっちに行ったからかな?
 ともかく、とことんバランスの悪いこの街に住み続ける訳だから、少し自己防衛しないといけないじゃない?
 それで、家ごと結界を張って、その中にしこたま鉢植えの植物を入れることにしたの。
 だから、まだちょっとは(いびつ)だけど、この家の中でなら、あたしは元気にしていられる。
「姉貴、コーヒー飲む?」
 ネスカフェ片手に(とーる)が訊いてくる。頷くとキッチンへ入っていく。
 うーむ、シオンといいこいつといい、あたしの周りの男って、手まめな奴が多いなァ。良いことだ、うんうん。
 まだ繋りっぱなしのテレビは、恵子が見ていた。
 チャンネルは変わってない。
「ねえ、芽衣」
「あに?」
「あんたが使う魔法ってのも、こんな具合なのかな?」
 五本の短剣をふりまわし、『桜』が跳ねていた。
「どーかねぇ?まあ、この呪文はけっこう正確なんだよ」
「へぇ〜」
「この短剣みたいな媒体か、魔方陣使って、あたしがこの呪文を唱えたら、きっとなんかおこるよ」
「へ〜。本当の風水師が協力しているっての、あながち宣伝だけって訳でもないんだね」
 恵子は一人で感心している。
「へえ、風水師がなんでアニメ作ってるのかな?」
「さあ、好きなんじゃない?」
「なんて人?」
「吉良蘭子とか言う人。業界筋じゃあ、昔から結構名前が通っている人らしいわよ」
「へえ」
 画面では、主人公が恋人の玲くんなる少年といちゃいちゃしながらラストシーンを演じている。画面が切り替わり、『今日の風水』というミニコーナーが始まった。
「体が辛い人、広くて古い木があって、大きな池のある公園に行ってみたら?きっと竜気(りゅうき)が満ちてくるわよ」
 桜が元気な声で言う。
 ああ、それも良いかも、なんて考えた途端、お腹の中から衝撃が来た。
「あうっ」
「どしたの?」
「坊主が蹴る…」
 この頃よく暴れるのよね。ぽくぽくとお腹蹴ってくれて、今にも出るぞーーって自己主張しているみたい。
「元気だねェ。ちっこい紫苑は」
 あたしのお腹を撫ぜながら、恵子が目を細める。
「もうすぐ臨月だもんな。おーいチビ紫苑、もちっと我慢しろよー。出てきたら、おねぇちゃんがたっぷり遊んであげるからね」
 気分はすっかり伯母さんなわけね。
 子供の名前はチビ紫苑で固定してるなぁ
…ちゃんと、アスターって名前を用意してるのに。
 ぽくぽく暴れるお腹を、シオンの髪で作ったベルトでなぜる、すると何だか嬉しそうに動いて、そのまま静かになる。
 坊やも、お父さんの髪に篭った魔力の波動が判るんだね。
 いつかきっと、三人で暮らせるから、それまで待とうね。
「でもさ、坊主も表に出たいのかな?あたし、この家に篭りっぱなしだもんね」
「何いってんの、さっき病院でぶっ倒れたの誰よ」
「あたし…(とーる)には言わないでね、心配させるから」
「判ってる」
 恵子が頷いた時、丁度弟が入ってきた。お盆には三つのマグカップ、それに、気が利くねぇ、ケーキまで乗ってるじゃないの。
 ケーキは結構美味しかった、アイシュのケーキほどじゃなかったけどね。
「そう言えば、吉祥寺にある『小笹』の羊羹って美味しいよね。なんか、食べたくなってきたなぁ」
 ケーキを突き崩しながら、(とーる)がぼそりと呟く。
 こいつは結構甘党だ。よく自分でケーキや饅頭を買って来たりする。
「あれ、朝の六時から行かないと買えない、レアアイテムよ。朝に番号札、実物は昼過ぎだから、手に入るまで半日かかるし」
 情報通の恵子がため息混じりに言う。
「朝かぁ…そーだ、姉貴」
「何?」
「行ってみない?」
「羊羹買いに?」
「っつーか、井の頭公園。朝なら人も少ないし、涼しいから」
 あたしと恵子は顔を見合わせた。
 珍しいこともあるもんだ、ってお互いの顔に書いてある。そう、最近のこいつは、恵子以上に家に居る様に言い続けているのに。
「そんな顔すんなよ。僕だって考えてるんだよ。この結界さ、一応バランスは取れているけど、『地』のエレメントが弱いだろう?大きな木も無いし」
 そう、それがちょっとウイークポイント。まあ、しょうがないのよね。だって、庭からしか『地』の力はもらえないもんね。
「で、思いついたんだけど、井の頭公園なら古い木も多いし、でかい池もあるし、勿論地面もあるから、あそこでキールの魔方陣、試してみようよ。僕も手伝うから」
 (とーる)は最近、簡単な治癒魔法ができるようになってきてる。お陰で助かってるのよね。
「まあねぇ。それもいいかも、家の中だけだと退屈だもんなぁ」
 あたしが頷くと、今度は恵子が渋い顔をしたけど、肩を竦めただけで何にも言わない。魔法がらみのことは、口出ししないって決めているみたい。
「じゃあ、明日行こうよ」
「うん」
 医者以外のお出かけって久しぶり。なんかちょっと、期待だよね。

 井の頭公園には夏でも白鳥が居る。
 緑に埋まっているような池に、白鳥が浮いているってのちょっち面白い光景だよね。
 林の中で弟と一緒に補助魔法を懸ける。
 うん、(とーる)の言った通り、発動のし方が違う。
 家でやるときの何倍もの力があたしを包む。すっごい楽。
 流石、かつての武蔵野の原生林のなごりなだけはある。
「やっぱ自然を大切にって事だよねー」
 そんなことを言うと、みんなが笑った。
 とりあえず、第二目的の羊羹の為に、弟は街に行って、あたしと恵子はピクニック気分で公園を散策してたの。
「ここ、猫が多いねぇ」
 そこここにうろついている野良猫を見ながら、恵子が言う。野良の割にはみんな太っていて元気そう。
「餌をやる人が居るんだよ、ほら、あそこでも」
 あたしは、一匹の猫に屈みこんでいる男の人を示す。
 男の人って言うよりは、少年かな?
 黒い髪で、すらりとした…あれ?何処かで見たことある?
 少年は立ち上がると、ゆっくりこっちに歩いてくる。結構美形ね、黒い目が印象的。でも顔立ちは日本人じゃないみたい。
 すれ違いざまに、少年が囁いた。
「メイ、また後でね」
「え?」
 慌てて振り向く。すれ違ったはずの少年は消えていた。
「あれぇ?」
「どしたの?芽衣」
「いま歩いて行った人、あたしの事知ってた…」
 恵子が眉を寄せる。
「人?猫なら走って行ったよ」
「え?」
 何?どう言うこと?今の少年を恵子は見ていない…
 ちょっと待ってよ、あたしゃキールみたいに、この世のものじゃ無いものなんて見えないはずよ。
 忘れよう、気のせいだ、きっと恵子は別のところ見ていただけよ。
「……お弁当食べ様か?そろそろ(とーる)も帰ってくるし」
「そだね」
 待ち合わせの場所で、バスケットの中身を広げる。サンドイッチをぱくついていると、羊羹入手の第一段階を終えた弟が、林の中を歩いてくる。
「リュー君、おっ先ぃ♪」
 恵子がサンドイッチを振って見せる。『ひでぇ』とか言う声が聞こえ、弟の足が速くなる。
「急げ急げぇ、無くなるぞぉ」
 恵子はなおも囃し立てている。
 おや?(とーる)の後ろに、誰か居る。林の木々に見え隠れしながら近づいてくる。
 弟より少し年上のような、黒髪の少年。
 黒い目が、まっすぐにあたしを見ている。
 さっきすれ違った少年。
 思い出した。
 昨日、夢の中で、あたしを殺そうとした奴。
「…恵子。(とーる)の後ろの子、見える?」
「え?何それ」
 やっぱりだ、恵子にはあいつは見えていない。きっと弟にも見えないと思う。
 逃げなきゃ
…だめ、体が動かない。
 くっそう、こーなったら…
「風よ、戒めの鎖となれ!」
 風が渦を巻き、黒髪の少年にまとわりつく…
 すり抜けた?
 あいつ、実体じゃないの?
「芽衣、どうしたの?」
 恵子の声が遠くで聞こえるような気がする。
 少年は、(とーる)の脇をすり抜けて、ぐんと近寄る。
 もうすぐ目の前。
 あたしは大急ぎで呪を繰ると、防御結界を張る。
 あんまり得意じゃないから、効果のほどは期待できないけど、ないよりマシ。
 本当はファイアーボールでもぶちかましたいけど、『火』の力が強すぎる(ここ)で使ったら、弟を巻き添えにするどころか、公園自体を火の海にしかねない。
「芽衣!?」
 立て続けの魔法に、恵子が目をみはる。ご免、答える余裕ない。
「満ち満ちし怒りの大気よ、今こそ我が手に集まりて刃とな…」
「無駄だよ」
 黒い目が、あたしの正面でにやりと笑った。
 息を呑んだ瞬間。目の端にぎらりと光るものが見えた。
 ナイフ?
「バイバイ」
 高く掲げられたそれは、あっけに取られたあたしの胸に、深々と突き刺さた。


後編