竜が見える。
恵子が見える。
そして、いきなり崩れる様に倒れた、あたしが見える。
二人があたしに飛びつく。
弟が魔方陣を取り出して、補助魔法をかける。反応はない。
「くそぅっ」
渾身の力で、あたしを抱えあげると、竜( は走り出す。恵子もそれに続い て走り出して、ああ、バスケットがそのまま…と、そんな心配している場合じ ゃないわよね。)
これは、ひょっとしなくても、いわゆるひとつの臨死体験つ〜ものではなか ろうか?
だって、あたしはみんなを頭の上から見ているんだから。
いかん、早く体に戻らねば死んでしまう。
じたばた動くと、弟に抱えられた体に引き寄せられるように動ける。よしよ し、このまま…
だめ、何でか、はじかれる…
公園を出たところで車が拾えた。恵子が家の場所を指示する。おいおい、こ んな所からだと幾らかかるかって…そういう場合じゃないわよね。
でも、どうしよう。このままじやあたしの体、死んでしまう。そうしたら、 坊やはどうなるの?
かなり心配になってきた。
「来なきゃよかった…」
あたしの体を抱きしめて、竜( が呟く。)
「何でだろう…ものすごく来ないといけない気がしてたんだ…判ってたはずな のに…結界から出たらどうなるか…」
「リュー君…」
おいおい、弟よ、あたしはここに居る、まだ大丈夫だって。
嘆く弟の姿に、思わず手を伸ばす。
不意にその手が掴まれた。
「無駄だよ」
竜( の背中から腕が生えてる…ううん、違う。)
何かが、竜( に重なっている。あいつ、黒い髪のあいつが、弟の背中から 離れて、捻りあげたあたしの腕をぶんっと放り投げた。)
当然車外に飛び出た。でも体に引き寄せられて元に戻って行く。あいつは、 嫌そうに睨み付けてくる。
「無駄だってば、君は死ぬんだよ」
「悪趣味なこと言わないでよ、このお化け」
あたしの悪態に、あいつはわざとらしく肩を竦めて見せる。
「今は君もそうだよ。まったく、せっかく魔導士が生きれない街を造ったのに、君ってば命根性( が汚すぎるよ。何時まで生きているつもりなんだ い?」)
悪かったわね。しぶとさはシオンの折り紙つきよ。
なんてこった、藤原芽衣、絶体絶命だわ。どうすればこいつを撃退して、体 に戻れば良いの?
だけど、ひとつだけ判ったことがある。
あいつは、あたしの体が死ぬのを待っているってこと。
魔導士が生きられない街ってどう言う意味なのか判らないけれど、とにかく、 直接手を下すことはできないみたい。
それが証拠に、さっき刺された筈の傷もナイフも、こうして浮いているあた しや、体にすらついていない。
だから、『あんたは、あたしを殺せないんでしょ』って言ってやろうとしたん だけど…
あらぬ方から声がしたの。
――ニゲテ――
え?
――イマハニゲテ――
誰?この声…アリサに似てる…でも違うような。
――ハヤク――
聞いた事があって懐かしいような、それでいて、初めて聞く声。
声がしたと思うほうには、あたしの体がある。
あたしの体は、薄く蒼い光に包まれているわ。
その色を見た途端、泣きたくなった。シオンの髪が、あたしを守ってくれて いる…
残念ながら、すぐに違うって思い出したけど…だって、髪は媒体。誰かの意 思がなけりゃ、その力の発動はない。日常的な防御なら、確かにシオンが呪を 篭めてくれている、でも、こんな非常事態なんて、想定されてない。
誰かが、シオンの髪を使って防御結界をかけている…
勿論竜( には、まだこんなことはできない。膨大な潜在能力はあるから、 無意識にってことはあるかもしれないけど。)
ねえ、もしかして、坊や?
答えは無い。
どっちでも良い、家族があたしの体を守ってくれている。なら、今、あたし は逃げろという言葉に従おう。
でも、何処に逃げたら良いの?
「シオン…シオン・カイナス…助けてくれよ。姉貴助けてくれよ。なあ、義兄 さん、このままじゃあ、夢が本当になっちまう…」
弟の食い縛った歯の間から、かすれた声が漏れる。
シオンの名前を聞いた途端。
視界が反転した。
闇の中を、ものすごいスピードで引き摺られる。
召還された時に似てる…
真っ暗な中で、あたしはぼんやりと弟の事を考えていた。
夢…竜( の夢。あの子が最近、ほとんど毎晩うなされてるのは知ってるけ ど。優しい子だから、きっとあたしの事なんだろうな…)
「炎よ、壁となりて我が敵を包め」
厳かとも言えるほど、自身たっぷりの声が、呪を放つ。
声と共に火柱が天を突き、武器を構えた数人の男達が閉じ込められる。
汚い悲鳴が上がり、中で身を竦ませたらしい。
「相変わらず鮮やかですね」
幻想的なマントに身を包んだ、若草色の髪の青年が感心したように言う。柔 らかい奥行きのある声。
ねえ…まさか…
「はん、雑魚が、手間取らせやがって」
蒼い前髪を書き上げて、面倒そうに言う端正な横顔…
肩に被るくらいの長さで揺れるポニーテール…
嘘でしょう…?
「まあ、盗賊団と言っても、ギルドに認められてもいない、三流盗賊ですから
ね旋風( のシオンを知らなくて当然でしょう?」)
「イーリス。その呼び名はやめろって。嫌な奴思い出すじゃねぇか」
シオン!シオン!シオン!
「それにしても、壊しましたねぇ」
イーリスは、瓦礫が転がる神殿の中みたいな場所を見まわす。こんなに叫ん でいるのに、聞こえないの?あたしはここよ。
「歯向かうからさ」
シオン…あんたにも聞こえないのね。
落ち着け、芽衣・カイナス。
あたしは今、臨死体験の真っ最中で、しかも妙な奴に狙われていて、とにか く逃げろって言う言葉に従って、ここに来た。まさかワーランドまで来られる なんて思わなかったけど…だから、あたしが見えなくても、聞こえなくても仕 方ない。
…気配くらい感じてくれても良いのに…シオンの唐変木…
ところで、あたしは何処にいるんだろう?
シオンとイーリス、とりあえずあたしも、壊れかけた古っちい神殿の中に居 る。
まあ、どうも壊したのはシオンみたいね、あちこちに、瓦礫と一緒にむさく るしい男達が伸びているもの。さしずめ、シオンの目的を邪魔した奴等って訳か、相変わらず容赦ないわね。
「これが、探していた物ですか?」
イーリスの言葉に、小首を傾げて見せる。これ、実は結構得意がっていると きの癖。ほら、証拠に、わざと眇めた目が、きらきらと光ってる。
「ああ、多分な」
ほらね、はっきり返事しない、こう言うときほど自信があるのよ。
でも、これ何?なんだか、派手な物だわねぇ。
盗賊団って言ってたから、きっとこれも盗品なんだろうけど…よくこんなも
の盗む気になったわね。
大きさは150cmはあるかな?つまりあたしと同じ位の、でかいオブジェ。
大理石と水晶で作られていて、まぁ、綺麗は綺麗だけど、でかすぎ。
二人の、天使みたいな羽のついた女の子が、大きな水晶球捧げ持っている。アールヌーヴォのガラス製品みたい。てのが第一印象かな。
シオンもこれに用があるみたいだけど…何に使うの?これ。
「それにしても…これが女神の宝玉( ですか?」)
イーリスが眉を寄せる。
「不満そうだなぁ」
「ええ、あまりにも下品です。神殿の客寄せ用ですか?」
相変わらず、綺麗な顔できついこと言うのね…
「まあ、まてまて。こんなの丸ごとなんて、俺もいらねぇからな」
シオンはそう言うと、オブジェに右手を翳した。
長い睫が琥珀の瞳を半分影にして、形のいい唇が引き結ばれる。集中してい る時のシオンって二割増ハンサムよね。
右手はゆっくりとオブジェを撫ぜて行く。そして、二人の天使が立つ台座ま で下ると、そこで止まる。
「これだ」
イーリスが覗きこむ。ついでにあたしも覗きこむ。
シオンが示していたのは、台座中央に埋め込まれた拳大( の水晶球。)
でも、全体にくるみのような模様が刻まれていて、とてもじゃないけど宝玉( なんて呼べそうに無い。)
シオンは小刀を取り出して、台座にあてる。二、三度抉ると球はあっけなくシ オンの手の中に転がり落ちた。
やっぱり、でかいくるみ、だよねぇ。
「なるほど、これが女神の宝玉( ですか」)
「百年ほど前の詩人が言ってたな。『人生とはかくも面白い。思い通りの物など 無いのだから』真理でもあり真理でもなしだぜ」
にんまりと笑って、シオンは宝玉( を見ながら立ち上がる。)
「この一年、人の事を散々振りまわしやがったお宝さ…おかげでカダローラ島の中を全部歩 かされたぜ」
「まあ、良い運動になったでしょう?とかく貴方は出不精だから」
「言ってろ」
「でも…これで、メイを取り戻せるのですね…」
今までと口調を変えて、イーリスがしみじみと言う。シオンもゆっくりと頷 く。
「ああ、やっとな…」
シオンの目、すごく優しい。
ねぇ、この神殿半壊させて、盗賊団なぎ倒して、そこまでして、あたしを取 り戻す為のこれを探してくれていたの?
キールの手紙にあった、『女神の宝玉( 』を探して、カダローラ島全部歩き回っ たって言ってたよね。)
嬉しい、ものすごく嬉しい…
どうして良いのかわかんないくらい嬉しいよ。
ねえシオン。
あたし今、ものすごくあんたにキスしたい。
しても良いよね。どーせ気がつかないもんね。
ゆっくり近寄って…うーん、わかんなくても緊張するな…
もうすぐ唇に触れる…
「駄目!!」
え?
「駄目だよ、お姉ちゃん。触ったら駄目!!」
アリサ…判った。引っ張らないで。
「アリサ、久しぶり、あんたにあたしが見えるのね」
「うん。お姉ちゃん、早く帰って、ここに来ちゃ駄目だったの」
アリサは、必死にあたしをシオンから離そうとする。
「どうして、シオンに触っちゃ駄目なの?」
「お姉ちゃんの魂が、ここに閉じ込められちゃうから。長く離れていると、体 が危ないんだよ」
あ、体の事忘れてた。
「でも、どうやったら帰れるの?どうやって来たかもかんないのよ」
小さい手が、空を示す。
「お姉ちゃんを呼んでいる声、聞こえる?その声に向って行って」
呼んでいる声?う…んそうだね、遠くで、誰かが呼んでいる
シオン達の姿が遠くなって、周りがまた暗くなる…
「……芽衣…」
「姉貴…」
恵子…竜( …)
「判った。アリサ、ありがとね」
「待っててね…お姉ちゃん。あのお兄ちゃんは必ず行くよ」
「うん」
あたしは声のする方へ向おうとした。
「駄目だよ」
わっ、びっくりした。目の前にいきなりあいつがあらわれた。
「邪魔するなよ。何にも出来ないくせに」
なんてしつこい奴、こんなところまで追いかけてくるなんて。
「もうすぐこいつは死ぬんだ。そして僕は還れるんだ。邪魔するな」
今まで余裕ぶっこいていた奴とは思えないほど、憎悪に歪んだ顔で、アリサ を睨んでいる。還るって…こいつの目的?
「還るって…あんたはワーランドに還りたいの?」
ぎろりと黒い目が睨んでくる。
「君は良いねぇ。役立たずの女神様に、女好きの魔導師様。色々と心配してく れるお身内様だ。ほんとに、恵まれてるよねぇ」
嫌味ったらしい奴。
「君のお陰で、僕はこんな目にあってるんだ。少しは幸せの御裾分けってのを してもらおうじゃないか?」
やだ、こっちこないでよ。
「50年だ…君が僕にしてくれた事の代償は、高くつくよ」
「あたしが何したってのよ」
あ、また嫌味に肩竦めてる。
「自覚が無いってのは困るね。君は居るだけで、僕の人生を狂わせたのさ」
何かよくわかんないけど、こいつの言ってることって、もしかしたら、ものすごくちっちゃい事なんじゃない?
「個人的な恨みな訳?」
「あたり前だろう?僕は人の為に何かするほど、お人好しじゃないよ」
あうう、肯定する奴。突っ込めないじゃない。
「君と半人前じゃ役に立たない。本物をおだしよ。本物の女神を」
アリサは悲しそうに首を振った。
「ママはもう居ない…」
「やれやれ、やっぱりだ。なら、自力で何とかするしかないよね。もともと他力本願は性に合わないんだ。だから、君、早く死んでよ」
あーもう聞き飽きた。
「死ね死ねって煩いわね。あんたに言われて、はいそうですかって死ねるもんですか。あたしは戻るわよ」
言い返してやると、にやりと笑われる。嫌な奴だなあ…
「あの街に戻るの?魔導士が住めないようにした、あの街に?」
そう言えば、さっきも損な事言ってたわね。
「それ、どういう意味よ」
「ワーランドに繋がりやすくしたんだよ、時間はあったからね。そうしたら、魔導士みたいな力のある奴が、生きれない街になったのさ。歪( だから、力が暴走するんだ。楽しいだろう?」)
楽しくない。言ってる意味はわかんないけど、全然楽しくない。
あいつはまた一歩、あたしに近づく。その間にアリサが割り込んだ。
「お姉ちゃん、早く行って。この人、時間を引き伸ばしてるだけ…早く…」
あうっそれが狙いか。
「判った」
「邪魔するな!役立たず!」
あいつが怒鳴る。でもアリサは怯まない。
「早く行って、早く」
そう言って、両手を広げたまま動かない。
「でも、アリサは?」
「あたしは大丈夫。この人あたしには何もできない」
あいつはものすごい形相でアリサを睨んでる。でも、動かないのは、アリサの言う事が本当だからなのかもしれない。
「判った、アリサ、ありがとう」
もう、あいつに関わってちゃ駄目。アリサは心配だけど、今は、自分の身体に戻らなきゃ。身体もそうだけど、坊やが心配。
声を、声を聞こう。恵子と竜( の声を…)
「待てよ!!」
あいつが叫ぶ。でも、もう振り返らない。
「芽衣…」
「…姉貴…」
二人の声に向って、気持ちを集中する。
ぐいっと強い力で引っ張られる。
再び闇の中を、あたしは引き摺られる。
元の世界へ…二人と坊やの居る世界へ・…
光が感じられる。
身体が重い…
闇の中でもがくように、光に向って行く。
重い瞼を開くと、恵子と弟が覗き込んでいた。
二人ともなんて顔よ。涙でグチャグチャ…
「大丈夫…生きてる…」
どうにか声を絞り出す。
「芽衣…よかったぁ…」
恵子があたしに縋りつく。
「ごめん、姉貴…俺…」
竜( は、ぐいぐいと袖で目を擦る。腫れるぞ、そんな事すると。)
「二人とも…ずっと呼んでいてくれたね。ありがと…」
「何言ってんのよ」
見慣れた自分の部屋の天井が、ありがたく思える。帰ってこれてよかった。
感激していると、お腹がぽこぽこって動くのが感じられる。
「坊主も無事だよ。安心して、みんな」
二人が頷く。
「あーやれやれ。こんな事はもう御免だよ」
「ごめん。恵子」
「謝らない、あんたらしくないよ」
「そう?」
「そう」
「そっか〜」
恵子の笑顔で、本当に安心できた。あ、ちょっとまてよ。
「竜( あたし、どれだけ寝てた?」)
あたしの科白に弟が顔をしかめる。
「あれ、寝てたって言うのか?昏睡状態っていうぞ、普通」
「いいのよ、寝てたで。とにかく、何日か経っちゃった?」
「いや、半日ぐらい」
「まだ間に合うかな?」
「何に?」
言ってる事がわかんないらしい。まあそうだろうね。
「羊羹。まだ間に合うよね?」
言うと、大袈裟にひっくり返る。何よ、その反応は。
「姉貴!死にかけたくせに羊羹の心配か?」
「いいじゃん。食べたいもん」
深々とした溜息が返事代わりに返される。
「まあ、リュー君。こいつらしくて良いじゃない。急げば間に合うよ。それに、バスケットも置いてきちゃったし…」
「わあったよ…」
ものすごーくいじけた目であたしを睨むと、竜( は部屋を出て行った。)
ごめんね、でもお祝いだもん。
生きてたお祝い。
シオンが女神の宝玉( を見つけたお祝い。)
頑張って行ってこいよ〜。
コーヒーでも入れると言って、恵子も部屋を出て行った。
一人で天井を見ながら、あの黒髪の少年のことを考える。
アリサは無事だったのかな?
あいつは、まだ諦めていない。
きっとまた、あたしを狙ってくる。絶対まける気なんかないけど、どうして あそこまでの恨みを買ったのか判らない。
50年前に何かあったらしいんだけど、それがあたしとどう関わってくるのか、皆目見当もつかない。
大体関係ないじゃん、そんな生まれる前の事なんか。
あいつは50年掛けて、この街を魔導士が住めない街に変えたと言っていた。
エレメントが歪( なのはあいつの所為なのかしら?歪だから、ワーランドと繋がりやすいとも言っていたわね。あいつは、どんな事に関わってきたの?)
何もかもが判らない。
でも、一つだけ判っている事。
それは、もうすぐシオンが来る。と言う事。
ねえシオン。
まだ半人前の魔導士のあたしが、街( でこれだけ辛いんだから、本当の魔導士のあんたが来たら、どうなるのかな?)
来て欲しい。会いたい。
あんな、見てももらえない、触( れもしない状態じゃなく。あんたに抱き締めてもらいたい。)
あの琥珀の瞳を見詰め返したい。
でもね…
だけどね…
ねえ、シオン…
来ないでって言ったら…怒る?
続きはまだかな♪(・~ ・。)(。・ ~・)まだかな♪
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