とある旅の途中
―――奇妙な道連れ―――3
Side Izerk
混乱したノリコの思考。
あいつの体を組み敷いている男の姿。
瞬間、頭が真っ白になった。
水を汲んできた水筒を、何時放り投げたかも憶えていない。
ただ、一足飛びに二人の所へ行き、華奢な身体に組み付いている男の、後ろに結った髪を掴み取ろうとした。
だが、指が触れる寸前、俺は何か強い力で弾き飛ばされた。
遠当てか?いや、まるで雷にでも打たれたような、全身がぴりぴりと弾ける奇妙な障壁に阻まれたんだ。
こいつ何者だ?
いや、何者かなんて知るか。
「ノリコを離せ!」
もう一度掴みかかった瞬間、男が顔を上げ、俺と下敷きにしたノリコを見た。
酷くぼんやりした、霞がかかっているかのような視線。
「う……」
男は低くうめいてノリコを開放した。
脱兎のように俺の方へ走ってくる彼女を背中に庇い、男を睨み付けると、数度頭を振り、痛みに顔をしかめていた奴が、今度ははっきりした表情で、俺達を見詰めてきた。
途端に、酷く暗い、自嘲のような笑みを浮かべる。
「ワ∂〜・・・※∞⇔∀±仝ダ」
男の言葉は、部分的にしか判らない。背中で、ノリコが身体を強張らせるのが感じられる。
「なんだって?」
聞き返すと、再び聞き取れない言葉を寄越す。
どうやらこの男、言葉が通じないらしい。
島からの移民か?それにしてもどこかで聞いたような・・・
「あのね・・・イザーク。・・・人違いして、悪かったって・・・」
背中でノリコがおずおずと言ってくる。
「え?」
「言葉わかんないって言ってる・・・」
「あんたは、判るのか?」
「うん・・・」
意外な返事に、全身が強張る。
俺が知らなくて、ノリコに判る言葉。つまりそれは・・・
「この人。あたしと同じ世界から来たのかもしれない・・・」
さっきの感覚。
ノリコが現れた時と同じ感じがしたのは、この男が、異世界から来た瞬間だったのか?
Side Noriko
「あのう・・・大丈夫ですか?」
イザークの背中から、こわごわ聞いてみる。
う〜〜なんかまだ、腕とかに感触残ってて、ちょっと怖い。
あたしの問いかけに、その人は困ったみたいに笑って見せた。
「悪ぃな、嬢ちゃん。人違いしちまって。俺も焼きがまわったぜ、あいつと見間違えるなんてな・・・」
はっきり喋る言葉は、何度聞いても日本語だわ。
聞いてるだけで懐かしい。
実は、ちょっとだけ嬉しくなってる。
なんだか、少しずつ恐さが消えていく。
あたし達を見詰め返してくる濃い茶色の目は、想像した通り凄く意思が強そうで、そのくせ喋り方や笑い方が、とっても人懐っこそう。
ノリの軽いお兄ちゃんって感じの人。
「なあ、そっちの兄ちゃんは、言葉わかんねぇのか?通訳してくれや、好い加減睨むなってよ。寝ぼけて間違えただけだって」
そう言いながら、すごく苦しそうに、木の幹に寄りかかる。
あ、そういえば、頭の怪我。
「イザーク。とにかく、謝ってるし、悪い人じゃ無さそうよ。手当てしてあげよう?」
「・・・・・・ああ」
あたしの言葉に、ものすごく機嫌悪そうな声で返事が返ってきたけど、放り出していた水筒を拾いに行ってくれた。
水で湿した布で傷を綺麗にしてから、荷物から薬草を出して手当てをしていく。イザークの手際はいつも綺麗。
でも、でもね。なんとなく、ちょっとだけ、何時もより乱暴な気がするんだけど……
「いでででで・・・兄ちゃん、もちっと優しくしてくれや」
あ、あの人痛がってる・・・
「あんたの言葉は、俺には判らん」
イザーク・・・怒ってる?
多分恐い顔したままなんだろうな。あの人も、イザークの顔を見て、あたしに向かって肩を竦めて見せた。
「兄ちゃん。彼女に悪いことしちまったのは、謝るって。ったくよぉ・・・お前さん、あいつ見てぇだぜ・・・」
そこまでいって、その人は不意に黙り込んだ。ものすごく考え込んでいるみたい。
そうだ。この人の名前、聞いてないや。
「あのう?」
「なんだ?嬢ちゃん」
嬢ちゃんって・・・そんなに子供に見えるのかな・・・まあ、今は良いか。
「貴方は、なんて名前なんですか?あ、あたしはノリコ。立木典子です。この人はイザーク。イザーク・キア・タージ。貴方は?」
「俺か?俺は・・・・・・・誰だ?」
え?
「あ、あのう・・・」
もしかして、記憶喪失?頭怪我した所為かな。
「・・・思い出せねぇ・・・俺は一体誰なんだ?」
考え込んじゃったこの人に、イザークが怪訝そうにあたしを見た。
「あのね、イザーク。この人、自分の事、忘れてるみたい」
「なんだって?」
なんだか・・・驚きの連続・・・
Side Izerk
男は、自分の事をすっかり忘れていた。
思い出そうとすると傷が痛むらしく、傷を押さえて酷く苦しむ。
どこから来たのか、何故ノリコと同じ言葉なのか。理由は判らない。髪の色といい、容姿といい、自分の国の人種ではないとノリコは言った。
だが、同じ言葉を喋る男に、ノリコが親近感を持っているのも確かに見えた。
それがなんだか気に入らない。
ノリコの通訳で、男が唯一憶えている事を語った。
彼はある女性を探していたらしい。
多分妻だと言う。
「全部真っ白だけど、その人の事だけ覚えているんだって。あたしみたいな茶色の髪で、茶色の目をしているって言ってる。年も近いみたい」
朦朧としていた中で、ノリコの色合いを見て、間違えて抱きついた。悪かったと、男は何度も謝った。
「判った、と言ってくれ」
俺の答えを相手に伝えたノリコが、少し首を傾げる。
「どうした?」
「うん。名前がないのって呼びにくいな、と思って」
「じゃあ、とりあえずの呼び名を決めたらどうだ?」
俺の言葉に、にっこりとノリコが頷く。
俺は、こいつのこの顔を見るのが好きだ。多分、今まで緊張していたんだろう、何時もの笑顔に、俺もほっとする。
「うん、そうだね。聞いてみる」
男に話し掛けるノリコの姿をみていると、何事か返事をしたあいつが、にやりと笑ってきた。
何だ?いまのは。
「モウッフジワ∂∞※ッ仝ラ」
いきなりノリコが真っ赤になって、男に文句らしい言葉を吐く。
男が驚くほど明るい笑い声を上げた。
「どうした?」
俺が聞くと、ノリコは更に真っ赤になる。
「・・・彼氏に愛されてるなって・・・」
・・・・・・・なんなんだこいつは・・・
「あ〜でも。名前はね。フジワラって名乗ってたと思うって」
「フジワラか・・・妙な名前だな」
「うん・・・これも、あたしの世界の名前なの・・・」
「そうか」
フジワラと名乗った男は、それから暫くして高い熱を出した。
この状態では、馬に乗せて進むわけにも行かない。日は高かったが、俺達は男の様子を見ながら野営の準備をした。
「大丈夫かな・・・」
うわ言で『メイ』と呟き続ける男を見ながら、ノリコが心配そうに言う。
「怪我の熱は厄介だからな」
「うん・・・あたしも熱出したの?」
「ああ・・・」
朝湯気の森にある国境で、こいつがあの悪霊に大怪我をさせられた時の事だろう。あの時も、夕刻に高い熱を出し、俺は、どうしていいのか判らないほど不安だった。
幸い、夜半には熱も下がり、ぼんやりと目を開けた様子に、どれだけほっとしたか知れない。
そして、お前の心を、もう一度伝えられたんだ。
あんなに嬉しかった事は、それまでの人生で、まったく無いと言えるだろう。
その場で、応えてやれなかったのが、こうしてともに旅が出来ている今でも、心残りに思える。
「明日も下がらないようなら、馬に乗せてクリセルまで運ぶしかないな」
俺の返事に、ノリコは更に不安そうに頷く。まったく、人が好い奴だ。
「心配するな。頑丈そうな男だ。町で医者に見せれば、すぐよくなる」
そう、それで厄介払いができるはずだ。
「でも・・・言葉も通じないしさ、大丈夫かなぁ・・」
自分がここに来たばかりの時を、思い出しているんだろう。右も左も判らず、それでも言葉を覚えて、何とかし様としていたな。
「あんたとこいつとじゃあ、訳が違う。一人前の大人の男だ。何とかするだろう」
「うん・・・」
それでも心配している様子に、なんとなくむかっ腹が立つのは・・・焼き餅ちなんだろうか・・・
やめよう、どうかしている。
「このままだと、薪が足りなくなるな。少し拾ってくる」
奇妙な居心地の悪さに、俺は立ち上がった。