side Noriko
「この森を抜ければ、クリセルという小さな町につくはずだ」
地図を見ながらイザークがそう言ったから、あたしは馬に乗せてある荷物の中身を思い浮かべたの。
「そうだね、いろいろ足りなくなってるものもあるし。補給できるね」
「ああ」
そう言って頷くイザークが、ものすごく優しく微笑んだりなんかしてくれたから、思いっきり心臓が撥ねた。
やだ、顔赤くなってないかな・・・
「えっと・・・あ、蝶々!」
思わず慌てて、意味の無い事言っちゃった・・・イザークやっぱり笑ってる・・・
でも、ちょっとほっとした。
だって、なんだかさっきから、妙に緊張しているみたいなんだもの。
深い深い大きな森。抜けるのに3日はかかるって、さっきイザークが言ってたっけ。
この森に入ってから、彼はずっと回りを警戒しつづけている。
あたしに何も言わないのは、心配かけないためなんだろうな・・・本当に危なかったら、ちゃんと言ってくれる筈だし、きっと確証が持てないから、はっきりするまで黙っているんだと思う。
グゼナで皆と別れて1月半も経った。あたし達は二人だけの旅を続けている。
ゼーナさんの言った『決まった未来など無い』という言葉に、幽かな希望を繋いで・・・
『天上鬼』と『めざめ』それが、あたし達に架せられた未来。
この世を震撼さる『天上鬼』それを目覚めさせるという『めざめ』
イザークはあたしに会ったことで、確実に『天上鬼』の運命に流されている。『めざめ』であるあたしと居る為に・・・
それでもイザークは、あたしが側に居る事を望んでくれてる。
それはそのまま、あたしの願い・・・
だから少しでも彼に笑っていて欲しい。
Side Izerk
「あはは、町でお買い物しようね」
何時ものように、すこし赤くなったまま、ノリコが笑いかけてくる。
俺は頷きながら、ずっと纏わり着いてくる奇妙な感覚を消せないでいる。
変な感じだ。
周りの気配を手繰っても、しんと静まりかえった森の中には、危険を感じさせるものなど何も無い。木漏れ日は穏やかに風に揺れ、手綱を引かれて後ろから着いてくる馬は機嫌もいいらしくカポカポと暢気な蹄の音を響かせる。
どこまでも穏やかな午後。それなのに、俺だけが落ち着かない。
心の奥がざわめくような奇妙な予感・・・
回りに、違和感を感じる。
不安や危険への警告じゃない。それなのに、何かが酷く気にかかる…それはなんだ?
これは、俺の中に眠る、あの“力”の所為なんだろうか?
これから、何かが起こる・・・だがそれは何だ?
「…・で・・・イザーク?どうしたの?」
ノリコの声が微かに揺れる。いかん。こんな事では、ただ悪戯に彼女を不安にさせてしまう。
「いや・・・何でもない。何か請け負う仕事でもあれば、旅費の足しになると思ってな・・・」
我ながら業とらしい言い訳だ。だが、ノリコは納得してくれたらしい。こくりと頷いてまた機嫌よく歩きだす。
「そうだね、色々買う物もあるしね、干し肉も心細いし、あ、カカリとかも欲しいよね」
「ああ」
「それでね、干した果物とかもあったら良いよね。そういうのって長持ちするし」
町に近づくと、彼女は決まって次の準備の話をする。さも旅が楽しいと、俺と共にこんな当ての無い旅を続けているのが好きだと言いた気に。
いじらしいと思う。愛しいと思う。
だからこそ、どんな事からでも守りたい・・・
「あっと・・・町に着いたら、焼き立てのパンを買おうね♪イザーク」
にっこりと笑いかけてくる笑顔に、張り詰めていた気分がほぐされる。
「そうだな」
「それでさ、パン屑が出たら、何時ものように鳥にあげようね。ほら朝とかさ、地面に撒いておくと良く来るし」
何気なく返された言葉が、俺の疑問に答えを寄越した。
―――鳥・・・
違和感の理由にやっと合点がいった。
森が静か過ぎた。
鳥の声がまったく無い。羽ばたきも囀りさえも聞こえない。奇妙な静けさ。これが俺を落ち着かなくさせている原因だった。
明らかに、何かが起こっている・・・いや、起ころうとしている。
だが妙だ、俺はこの感じを知っている。以前どこかで、感じた事がある・・・
「イザーク・・・?」
黙りこんだ俺をノリコが見上げた瞬間、“それ”は来た。
Side Noriko
森の中に、不思議な“音”が響き渡った気がした。
爆発音みたいな、和音みたいな。
不思議な音。
そして何かが通り過ぎていったような感覚。
なんだろう?って首を傾げてたら、いきなり馬が暴れだした。
イザークが宥めても駄目。でもここで逃げて行かれたら、あたし達困っちゃうよね、だから何時ものようにてきぱきと、イザークが馬を押さえつけて木に繋ぐ。
馬に話し掛けて、何とか落ち着かせようとしていたら、今度は森全体が爆発したような騒ぎが巻き起こったの。
鳥が、一斉に飛び立った。
もう、一瞬あたりが暗くなるくらいの鳥の数。
こんなに何処に居たの?って不思議になる。
それと同時に、凄まじいほどの鳴き声が、羽ばたきの音と一緒に叩きつけられて、あたしはすっかり度肝を抜かれてしまった。
驚いて硬直していたら、イザークが駆け寄ってきて、片手で抱き寄せてくれた。
「大丈夫だ」
暖かい腕の中で少しだけ安心して、やっと声が出る。
「今の・・・何?」
「判らん・・・」
イザークの声が張り詰めてる・・・腕も強張ってて、彼がものすごく緊張しているのが判る。
やだ、ドキドキしてきた。
追っ手・・・なのかな?
羽毛が舞い散る中、何にも無かったら、ものすごく綺麗な光景の中。あたしはイザークの腕の中で震えている・・・
駄目だって心の中で何度も自分を叱りつけたけど…だって、あたしが不安になってたら、きっとイザークは何倍も気にする。優しい人だから、守ろうとしてくれるから。
しっかりしなきゃ・・・震えてちゃ駄目。ちゃんとしなきゃ・・・
Side Izerk
なんでだ?
同じだった。
“あの時”と…・
ノリコが金の寝床に、『めざめ』として現れた、あの樹海で感じた感覚。
そう、覚えがあるはずだ。
俺の運命が、決定的に流れ始めたあの時・・・
馬鹿な。
『めざめ』はノリコ一人の筈だ。現に俺達は、未だに追われている。
第一、もしそんなものがまた現れるなら、何かしらの予兆が有る筈だ。だが、今までたち寄ってきた村や町では噂すら聞いていない。
一体何が起こったのか、確かめるべきなのか?それとも、やり過ごすべきなのか。
回りをゆっくりと見回し、気配を探す。
だが、もうあの違和感は無い。森は静まり、鳥の囀りも戻ってきた。馬も落ち着き、静かに嘶いている。
何の危険も無いのが、肌で判る。だが、まだ気は許せない。
焦るな。
落ち着け、呼吸を整えろ。
ノリコが震えている。
「大丈夫だ・・・何でもない」
「イザーク・・・」