酒場にて

  神殿に程近い、大通りの外れには、静かで雰囲気のいい店がある。
 私は、(たま)に此処に来る。
 騎士団の者は、もう少し気楽に呑める飲み屋に行って、大騒ぎでもしていることだろう。
 降誕祭の夜は、王宮で晩餐会(ばんさんかい)の警護を担当するシフトの者以外は、朝まで自由になるのが慣例だ。
 家に戻る者。街で遊ぶ者。
 恐らく、寮に戻ってくる者の方が少ないだろう。
  寮母としても医者としても、今日は用事が無い。
 だから私も、久しぶりに街へと繰り出し、この店に足を運んだのだが、店に入り、奥まった場所にあるカウンターの止まり木に、珍しい人物を見て、少し後悔した。


 本来なら、晩餐会で貴婦人の一人でも口説いている筈の男は、ぽつん、という表現が良く似合う風情で、一人グラスを傾けている。
 高いストゥールに腰をおろしていても、背を覆う長い蒼髪が床に触れんばかりに流れ落ちる。
 普通の女ならば、この髪を見ただけでうっとりとするらしいのだが、あいにくそんな感性は持ち合わせていない。
 むしろ、髪の先が汚れる方が気になってしょうがない。
 だからだろう、少し猫背に丸められた背中に、うっかり声をかけてしまったのは・・・
「こんな夜にお一人とは、珍しい事も在りますね」
 なにぶん、長年の習慣で、皮肉な物言いになるのは致し方ない。
「よう、マイルズか・・・」
 静かな応えに、妙な違和感を感じる。
「此処はお前さんの行き付けかい?」
 蒼髪の魔導士が顎をしゃくる、最前、気難しげな亭主が、ぶっきらぼうに「いらっしゃい久しぶり」と声をかけてきたのを耳ざとく聞きつけたらしい。
「ええ、偶に」
 応えて止まり木に腰掛ける。
 話をしながら遠くに座る事も出来ず、必然横に座らないとならないのが、不本意ではあった。
「俺が誘っても、振ってくれるのに・・・」
「私は一人で呑むのがすきなんです」
 ぶつぶつと愚痴る男に、にべも無く応えてやると、常の皮肉な笑みと伴に肩が竦められる。
「相変わらずだな・・・」
「貴方もね」
 常と同じ軽口の応酬。しかし、やはり妙な違和感が付き纏う。
 静か過ぎるのだ、この男。
 しかし、どうしたと聞いたところで、どうだと答えるほど、素直な男ではない事は良く知っている。
 それに私とて、人と話すのがそれほど得意と言うわけでもない。
 まあ、医師として、患者の話は親身に聞くが、担当外の事までは首を突っ込む気にはならない。だから黙っておく事にする。
 店の亭主は心得た男で、半常連の私の好みも憶えてくれている。程なく、ピムソーダが前に置かれる。
「・・・きつい酒飲むんだな・・・」
 度数の高さの割には口当たりのいいこのカクテルは、昔から気に入っているものの一つである。この男が知らなかったのは以外だったが、思い返せば、魔法研究院以来、伴に呑んだ事はなかったと気が付いた。
「少女の頃と今では、酒の好みが変わるのも当然でしょう」
「あの頃は、軽くて甘い酒が好きだったっけな・・・」
「貴方は変わっていませんね・・・」
 琥珀の液体が、暗い照明を反射している。一つだけ落とされた氷が、妙に光って見える。
「一度・・・私を酔い潰そうとしましたね」
 懐かしい記憶が呼び覚まされる。彼と呑んだ最後の夜。
「そりゃ誤解だ。ありゃぁお前さんが、ぐいぐい呑むからだろうが。俺は止めてたのに」
「当たり前ですよ、あんな状態で、素面で居る方が難しい。如何し様かと思いましたよ、あのお方が来られるなんて・・・」
 当時、彼は私を、頻繁に飲みに誘っていた、共に変わり者の研究院生として、あの頃は気が合ったものだ。
 しかしある夜、彼はとんでもない人物を連れてきた。そう、あの客員研究院生を・・・
「あいつにも、当たり前の学生生活ってのをさせてみたかったのさ」
 悪びれる様子も無く言い返してくる。
「何が当たり前ですか、本人が当たり前じゃないんですから、当たり前になるわけが無いでしょう?」
 ため息が出る。あの夜、あまりの事に動転した私は、ついつい飲みすぎて、酷い醜態を晒したのだ。
「お前さん、意外なところで気が小せぇのな。ほんと、あのまま俺が介抱できてたら良かったのによ」
「レオニス殿が来てくれた時はほっとしましたよ」
 客員研究院生を護衛していた騎士が、誰にも知られぬうちにと、彼の主人を探しに来た、そこで出くわしたのが、自分の上司の娘の醜態である。
 今思い出しただけでも、顔から火が出るような気がする。
「あの野郎、俺達を睨み付けやがった。んで、静かに『お帰りください』だぜ。二十二やそこらの癖に、妙な迫力がありやがってよ・・・」
「・・・私は、あの後、夜の外出を禁止されましたよ・・・」
「まあな、自分の娘がぐてんぐてんになって、部下におぶわれてかえりゃぁ、普通の親ならそうするだろうな」
思い出し笑いで肩を震わせる。
「笑い事ですか。おかげで寮の部屋は引き払わざるを得なくなり、私は酷く難渋したんですよ」
「そりゃ悪かった・・・だが・・・あれ以来だな。一緒に飲むの・・・」
 しみじみとした声音に、つい頷いてしまう。
「そうですね・・・」
「俺が腕試しで戦場に首突っ込んでいる間に、お前さんは研究院辞めて、医者の道に入ってた。イーリスから聞いた時は、びっくりしたぜ」
「元々考えていた事です。そんなに魔力があったほうではないですからね。魔法薬の知識がある程度ついたところで、医師の勉強をした方が、能力が生かせると判断したんです。第一、相談し様にも、貴方は王都に腰を据えてなかったでしょう?」
 からりと氷が鳴り、琥珀の液体が飲み干される。
「まぁな・・・親父に、魔導士が戦場でも有能だって見せてやりたかったんだ・・・結局、ローゼンベルグの件で、勘当されたけどな」
 彼が勘当されたのは、カイナス家とローゼンベルグ家との摩擦を最小に抑える為の政治的な処置。何にしても、貴族というものは、情より家を優先させるものであるらしい。
「そ〜いやぁ、あれからこっち、親父にも会ってねぇや」
 過去の傷を笑い飛ばす姿に、こちらが心を痛めるのはお門違いかもしれない。だが、あの当時の、彼への評価は、あまりにも酷かった。
「少しでも戦況を知っている者ならば、あの判断は間違いでも陰謀でもないと理解しています。私の父もその一人です」
「ああ、おかげで軍法会議には掛からないですんだぜ」
 穏やかな表情に、自分の言葉を後悔する。
 彼にとっては、笑い話にできるほど過去の事になったのだ。今さら言い訳じみた慰めが、何の役に立つのだろう?
「まあ、お互い。自分の道を探して、右往左往していたってこったな・・・」
 言葉の接ぎ穂を失った私に代わって、彼がそう締めくくる。私は少しほっとした。
「そうですね」
「しっかし、俺が見つけた道っつーのも、結構不本意だったけどな・・・」
「なに恩を(あだ)で返すような事言ってるんですか?」
 社会的に完全に抹殺されかけた彼を、皇太子が手元に引き取った。おかげで彼は魔法研究院を卒業でき、皇太子の懐刀として一目置かれるようになった。感謝する事はあっても、文句を言う筋合いは無いはずだ。
 だがこの不遜な魔導士は、諦めたように肩をすくめる。
「俺はな、カイナス家を出れたのは、むしろ有り難かったんだぜ。貴族の身分なんざ性にあわねぇ。俺の望みは、街中に小さな家でも買って、かわいい女房と、ひっそり暮らす事だったのさ」
 勝手な言い分に呆れかえる。昔から、この男のこういう言い方が癪に障るのだ。
「絵空事ですね。貴方がひっそり暮らせるような人ですか?王宮でなんと呼ばれているか位知っていますよ」
 私の言葉に、魔導士が大袈裟に眉を顰める。
「歩く台風の目か?酷ぇこと云いやがるよな」
「私には、正当な評価に思えますよ。貴方の事だから、業とそうしているんでしょう?」
 私の言葉に業と答えず、彼は酒の追加を注文する。亭主がかすかに頷いた。
「第一、そのかわいい女房とやらは、どこで調達する予定だったんですか?まあ、貴方は昔から、その方面は派手でしたけどね」
 言い返しながら疑問に思う。何故殊更、滅多に口にしない昔話に拘るのか。
「なかなか適当なのがいねぇんだ・・・」
 つまらなそうにグラスを口に運ぶ。私の酒ももう空だ、グラスを振って催促すると、亭主が頷く。
 まったく・・・いつもは静かに飲む筈の店なのに・・・
「貴方は理想が高すぎるんですよ。男に媚びない自分で立てる女。自分の道を見つけられる女。男女の違いに頓着しない女。そして、自分と同じ価値観の女。そんな女がどこの世界に居ます?イーリスに、お前が女なら、すぐに女房にするのに、と言った時には呆れ返りましたよ」
 呑んでいる酒と同じ色の目が、眇めたように向けられる。
「お前さんにも同じ事言った覚えがあるんだがな?」
 悪印象の原点に話が来た。この男はこれが言いたかったのか?
「『お前なら本気になれそうだ』とか『なっても良いかも知れない』とか言う、あの冗談ですか?私はあれで、貴方との付き合い方を考え直しましたよ」
「結構真剣(マジ)だったんだがな・・・お前さん面白かったから」
 どこまで真剣なんだか。
「女で貴方を真っ直ぐ見返せる背丈は、私だけでしたからね。ベシアに、男同士が歩いているようにしか見えないと、よく言われましたよ」
「ああ、ハイヒール履かせると、俺より高くなりやがるしな。女に見下ろされたのは、お前さんがはじめてだぜ」
 当たり前だろう。そうそうこんな女が居れば、私も悩まないですんだ。
「私の身体特徴はともかくとして、私自身は古風な女です。貴方の第一条件である価値観がまるで違う。」
 くつくつと笑う声と共に、氷がグラスを鳴らす。
「そ〜だな・・・」
「友人の位置に安定できてほっとしていますよ。まったく・・・らしくないですね、古い話ばかり蒸し返して」
 再び違和感が湧き上がる、この男は昔話を楽しむような性格ではない。むしろ今と明日を楽しむ筈だ。
 魔導士の返事を待つ間、私は愛用のパイプに葉を詰めた。
「年取ったって事じゃねぇか?お前さんの顔見たら、なんでか急に思い出したのさ」
 甘味を含んだ紫煙が上る。亭主が灰皿を持ってくる。目礼で答えると、何時ものようにむすりと頷いてきた。
「三十にも成らないうちに年寄りですか?」
「お前さん、ほんっとに可愛くね〜なぁ」
「この背丈で可愛かったら、気持ち悪いですよ」
 それもそうかと笑う端正な横顔をいぶかしみつつ眺める。
 今夜のこの男は、本当にらしくない。
 ふと気になって、再び男の追加を持ってきた亭主に、飲んでいるグラスを指し示す。無言の問いに、指が七本立てられた。
 私が来るずいぶん前から、飲んでいたらしい。
 それも、かなり早いペースなのは明白だ。
「酒には強いんだよ・・・知ってるだろう?」
 私たちのやり取りに気づいて、男が苦笑する。
「どれだけ飲んでも、酔えやしねぇ・・・」
 そこでようやく、違和感の訳を理解する。
 どうやらこの男、何か憂さを晴らしたいらしい。そして私は、図らずも愚痴の聞き役にされていると言う事だ。
 何とも迷惑な話だが、今夜は降誕祭だ、まあ、珍しいものが見れただけで良しとしよう。
 何か言いたげな、それでいて素直に話す筈も無い男の、次の言葉を待って、紫煙を味わう。
 魔導士は黙って酒を飲み。私は煙と共にカクテルを舐める。
 八杯目を追加して、彼が私を眺めた。
「なんです?」
「降誕祭の夜に、女が一人で酒を飲んでいるって言うのも、変な眺めだと思ってな」
 大人しくしているかと思えは、この言い草だ・・・
「私を女扱いするのは、貴方位なものですよ」
「・・・レオニスは、女扱いしていると思うぜ」
 背の高い黒髪の騎士。彼の今夜の行く先は、よく判っている。
「彼は、子供の頃の私を憶えているだけですよ。今は同僚として、男女の区別はありません。第一貴方こそ、こんな夜に一人なんて、珍しいじゃありませんか?」
 言い返してから、最近彼の周りで、女の噂が立ち消えているのを思い出す。それと同時に、一人の少女が浮かんできた。
 この数ヶ月、彼の側にいた少女。明るい笑顔と、物怖じしない真っ直ぐな目の少女。
 多分、これは当たりだろう。
「あの子は誘えなかったんですか?まあ、研究院の門限は厳しいですからね」
 業と聞くと、持ち上げたグラスがからりと鳴る。殊更(ことさら)ゆっくりと酒を流し込み、魔導士は苦笑した。
「門限か・・・そんなものはとっくに破ってるんじゃねぇか?好いた男に口説かれてりゃよ・・・」
 案の定、この男は振られたのだ。
 しかしこれほど表に現れるとは・・・あの少女は、この男の内面に、どれほどの変化を与えたのだろう?
 妙に興味が湧いてくる。こういうところは、私も女なのかもしれない。
「あの子は成人年齢になっていましたね。まあ良い事でしょう、見知らぬ土地に一人で居るのは辛いものです」
「ああ、14離れていても、嫁にするには差し支えない」
 え?
「あいつは神殿で、レオニスと一緒に居る・・・あの野郎の背中を追いかけるように、墓地に入っていきやがった・・・」
 その言葉に、胸の奥に鈍い痛みを感じる。
 忘れかけていた痛み・・・いや、現状に甘んじ、業と忘れようとしていた痛み・・
 ゆっくりとカクテルを口に含む。甘い炎が舌を焼く。
 大丈夫。元から判っている事だ・・・
「なるほど・・・確かにあの()は、騎士団にしょっちゅう来ていましたし、レオニス殿も、何やかやと面倒を見てやっていた・・・そうそう、離宮の晩餐会にも忍び込んでいましたね」
魔導士の苦笑が深まる。
「そうか・・・姫君も今年で成人。王妃様もご安心なさるでしょう。彼もやっと、自分の道を見つけるんですね・・・」
「お前さんそれで良いのか?」
「何故聞くんです?彼は自分に(かせ)を嵌め過ぎでした、それが取り払われるのなら、喜ばしい事でしょう?」
 私の答えに、魔導士が喉で笑う。
「お互い、損な性分だな」
 プライドが優先し、悔しいと素直に言えない性格を言いたいらしい。確かに、その点では、私とこの男は良く似ている。
「貴方こそ、なんですぐに手を出さなかったんです?ずっと側に置いて居たでしょう?」
「・・・そんな軽い女かよ・・・」
 憮然とした答えに、今度はこちらが苦笑する。
 なんと、本気の女には手が出なかったらしい。
 この男でも、女に本気になれるという、実に意外な現実が、胸の痛みを紛らわせてくれる。
 まあ良い、私はもとから望みもしなかったのだから、今さらとやかく言える筈も無い。
「昔の(よしみ)で付き合ってあげますよ。お互い、飲んだほうがよさそうだ・・・」
「ああ、奢ってやるぜ」
「有り難いですね・・・」
 紫煙とグラスと苦笑が溶け合う。
 確かに今夜は、後ろ向きに昔話でもするのが似合っているようだ。


 取り止めも無い昔話。イーリスがいきなり国を捨てた時に話が及んだ頃。背後で扉が鳴った。
 亭主はむすりとしたままで、客が一見なのだと判る。
 気にせず会話を進めていると、当の本人の声がした。
「おや、(わたくし)(さかな)に、盛り上がっているようですね」
「よう、イーリス。ああ、楽しませてもらってるぜ」
 魔導士は振り返りもしない。
「なにやら懐かしい取り合わせですね」
 本当に懐かしい。今夜は同窓会になるらしい。
「ま、偶にはな・・・」
「イーリス、貴方も一緒にどうです?今夜の本当の肴は、貴方じゃなくて彼ですから」
 魔導士を指し示すと、イーリスが笑う。
「なんですか?面白そうですね」
「ええ、面白いですよ。何せ、天下の色男が振られたんですからね」
 さも嫌そうな溜め息が聞こえる。
「マイルズ・・・テメェ、すっぱ抜くなよ」
「良いじゃありませんか、珍しい事は楽しまないと」
「言ってろ・・・」
 不貞腐れる魔導士に笑っていると、イーリスがふむと頷くのが目の端に映る。
「なるほど、振られ男に二人も()うとは、今夜の私も運が無いらしいですね・・・」
嘆く吟遊詩人に、思わず苦笑が漏れる。
「それは気の毒に。で?誰が振られたんですか?」
「彼ですよ」
そう言って半歩横に逸れる。後ろに立つ人物にはじめて気が付いて、私は柄にも無くはっとした。
「レオニス殿・・・」
「邪魔をする・・・」
 低い声を聞き、魔導士が弾かれたように振り返る。
「・・・なんでお前さんがここに居るんだよ?」
 暗い店内に溶け込むようにして、長身の男が立っていた。
 いくら気配を消す習慣が身についた騎士とはいえ、こんな図体の男が目に入らないとは・・・
 私もかなり酔いがまわっていたらしい。
 それにしても、イーリスは今何と言った?
「振られ男・・・というのは、どういう意味です?」
 今夜の彼は勝利者のはずだ。そう、なんとなれば、私の隣に居るのが、その敗者なのだから。
 しかし、黒髪の騎士は、僅かに口元を動かす。
 長年の観察によって、苦笑したのだと理解する。
「あいつは・・・どうしたんだ?」
 魔導士の声も、ほんの少しだけ揺れる。
 騎士は無言で私の横に腰掛け、変わりにイーリスが肩をすくめた。
「魔法院へ帰るらしい後姿は見ましたよ、私は、神殿の前で彼に遭ったんです。好奇心で如何したのかと訊ねたら、『振られた』と仰る。おまけに意外にも、酒に付き合えと言われましてね。特に断る理由も無し。適当な店に入ったら、貴方方が居たという訳ですよ」
 言いつつ騎士の向こうに座る。
 魔導士は、それこそ珍しく、じっと騎士を睨みつけている。
「何か?」
「一人で帰したのか?こんな夜に・・・」
「送らなくて良いと言われたので」
 騎士の答えは簡潔である。受けてイーリスが頷く。
「でしょうね、振られた上は何も出来ません。まあ確かに、こんな夜ですがね。今夜は酔漢(すいかん)が多い」
 なにやら煽っているらしい彼の言葉に、私は便乗する事にした。
「神殿から、研究院までは、結構ありますね。大丈夫でしょうか?」
「あの子は武勇伝の持ち主です。が、女の子ですからね、どうなんでしょうね?」
「神殿を出てから、そんなに経っていないようですね、今ごろは繁華街ですかね?」
「そうですね。ますます不貞の輩が増えようというものです」
 私と吟遊詩人の、ほとんど嫌味のような会話を聞きながら、魔導士は小さく舌打ちする。
「テメェ等・・・乗ってやるよ・・・おい亭主、こいつらの飲み(しろ)俺に付けといてくれ。明日にでも使いを遣す」
 亭主がむっつりとしたまま頷く。長身の魔導士は、ゆらりと立ち上がった。
 そのまま無言で店を飛び出していく。
 だが、立ち去る彼の横顔に、はにかんだような笑みが浮かんでいたのを、私は確かに見た。
 どうやら彼も、一生に一度は素直になる時があるらしい。
 同じものを見たらしいイーリスが、にやりと皮肉な笑みを浮かべてみせる。
「では、筆頭魔導士殿の前途でも祈って、何かのみますか?どうせ彼の奢りです」
 私の言葉に、騎士は首を振った。
「いや、私は自分で払う」
 振られた上に、恋敵に奢られては、矜持(きょうじ)が許さないという訳か。
「私は元々騎士殿に奢ってもらう話でしたから、奢られる相手が変わるだけです。ご相伴しますよ」
 てんで勝手に酒を頼み、並べられたグラスを軽く鳴らし合う。
「何に乾杯です?」
 小首をかしげる吟遊詩人に、私は煙と共に、人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「勿論、レオニス殿の前途に幸あらんことを」
「なるほど」
 やれやれと、騎士が小さくため息をつく。
 そんな彼に笑いつつ、思いついた種明かしをしてみる。
「私と彼が居る事を知っていて、ここに入ってきたのでしょう?あの少女の為に・・・貴方は人が良すぎる」
 黙り込む騎士と、片目を瞑る吟遊詩人に、私は笑みが深まるのを止められない。
「人が良すぎるついでに、ここで大人しく私たちの肴におなりなさい。愚痴位なら聞いてあげますよ」
 そう言いながらも、現金な自分に笑いがこみ上げる。
 酒の所為だろうか、どうやら浮かれている。
 あの魔導士は少しは素直に行動しているようだが、私はそれよりもひねくれているようだ。
 笑いを抑え、憮然として『そうか』と呟く騎士のグラスに、自分の物を軽く当て、涼しい音が響くのを楽しんだ。


 魔導士が、大通りで大立ち回りを演じていた少女に、無事追いついたと聞いたのは、翌日の事である。

その後のヨタ話

END