SECOND SEQUENCE 3転機












 その日、運は今までの不義理を清算するかのように、レオニスに微笑んでみせたようだ。






 筆頭魔導士が囚人から引き出した情報に基づき、編成された調査隊が、

早朝からの準備を整えたころ、騎士団に凄まじい勢いで、一騎の伝令馬が駆け込んできたのである。
 




門兵の誰何(すいか)を無視し、閲兵場にまで駆け抜けた人馬は、

何事かと駆け寄る騎士たちの前で、力尽きて横様に倒れこんだ。




 手綱にしがみ付いていた騎手は、崩れる馬上から投げ出され、

結い紐の切れた金髪が、扇の如く広がり、朝の陽光をはじく。
 






気を失った騎手が誰なのか気づいたのは、集まった騎士の中でもっとも年少の銀髪の騎士。






「シルフィス!?」
 





ガゼルは慌てて親友を抱き起こした。








「おい!誰か隊長呼んで来い!シルフィス!何があった!?シルフィス!」





「が……ぜ……る?」
 








霞む目をやっとの事で開いた少女は、親友の顔を見て、淡く微笑む。






「おい、何でお前が伝令馬なんかに乗って来たんだよ。キールと一緒じゃなかったのか?」






「きーる・・?・・っ!」
 








婚約者の名に、緑の瞳が大きく見開かれる。







「ガゼル!今……何時!?隊長は?隊長はどこ?」
 






いきなり身を起こし、少年の肩を強く握る。

ガゼルは幽かに眉を寄せたが、自分の怪我よりも状況の追及を優先させた。









「今くるはずた。キールに何があったんだ?馬まで(つぶ)して……」
 








さぞ無茶な早駆けをしたらしい、騎手と共に倒れた馬は、

どうにも起き上がれないらしく、口から白い泡を吹いている。

これでは当分使い物にならないだろう。
 







通常なら、自分よりも他の生物を案じてしまう性質(たち)の少女は、

だが今は馬よりもレオニスの方が気にかかるらしい。
 




動かない体を叱咤し、歯を食い縛って立ち上がろうともがく。









「早く……知らせ……!」
 







うわ言のような言葉に、鬼気迫るものを感じて、少年騎士は眉を寄せた。









「判ったよ……」
 








言いつつ親友の腕を取り、肩にかけるとぐいと持ち上げた。







「お前、軽くなったな」
 








知らぬうちに追い越した背と、意外な軽さに、肩を貸すのを変更して、そのまま両腕で抱き上げた。






「行くぜ」




「頼む……」
 












本来ならば慌てふためくだろう行動に、シルフィスは官舎を見詰めて頷いただけだった。

確かに、尋常の様子ではない。







 ガゼルはそのまま走り出した。
 
 







官舎の入り口で、異常を知らされ駆けつけたレオニスに合流できた。








「隊長!?」
 







抱き上げられている上に、力が入らないくたくたの身体で、

それでもレオニスに両手を差し伸ばす。







「うわっあぶねーって!?」
 






ぐらつく荷物に、ガゼルがあげる抗議の声など綺麗に無視して、

シルフィスはレオニスの腕にしがみ付く。







「隊長……!キールが!」
 







死人のように青ざめたシルフィスに、レオニスは眉を寄せた。







「どうした?キール殿に何かあったのか?」








 しかし彼女は激しく頭を振った。









「きーるが……きーるが……」
 








呼吸も侭ならない状態がもどかしいらしく、何度も口を開いては、切れ切れの言葉を繋ぐ。











「見つけました……きーるが・・めいを……」






「何!?」




「ほんとかよ!」











「……はい」






「報告を」
 







シルフィスは、何とか声を絞り出して、状況を語った。
 






王都から、馬車で一日の距離にある館に、

メイと(おぼ)しき女性を伴った男が向かったのを、キールが目撃したと。





 キールは、その館から一時でも目を離すまいと、馬車を降りてその場に残った。
 









彼女は駐屯地で馬を借り、覚えた馬術の全てを使い馬を乗り継ぎ、

伝令馬で半日の距離を、更に縮めて駆けつけたのだ。




馬も人も、へたばるのは無理も無い。











 聞き終え、レオニスが重々しく頷く。






「シルフィス。ご苦労だった」
 








尊敬する騎士からの労いの言葉に、少女はかすかに微笑むと、

そのまま親友の腕の中で意識を失った。













 
 メイ発見。
 











度重なる追跡の果てに、数々の手柄をながらも、

常に最大の目標は、その手の中からすり抜け続けていた。


幻影の女を追う空しい探索は、意外なところから現実の少女を齎せたのだ。






 即座に浮かんだのは、牢の暗闇に蹲っていた魔導士の背中。
 




意外な諸さをさらけ出した青年は、どれほどの歓喜を持ってこの報せを受けるだろう。









「ガゼル。王宮へ伝令に走れ。シオン様に報せろ」






「え?なんで?」
 








親友に満面の笑みでねぎらいの言葉を浴びせていた少年騎士は、不満げに上司を見た。
 





レオニスがメイを取りもどせるのだ。

そこに、あの魔導士なんかが茶々を入れるのは不快である。






 しかし、上司は無言でガゼルに視線を向けた。








「……判りました・・」
 








不承不承頷き、気を失った親友を、折り良く顔を出した医者に預けて踵を返す。








「お前が戻るまで待っていてやる。急げよ」





「はい!」
 









走り去る部下を見ながら、騎士団内で、

自分と少女との仲が妙な具合に認定されかけているのを思い出し、

どこかで訂正せねばと苦笑が浮かぶ。





その耳に、気絶した患者を抱えた医師の、ぼやきが聞こえてきた。





「何で、女が女を抱きあげないといけないんですかね?」
 






レオニスではなく、自分に預けられたのが気に入らないらしいが、

少女一人を軽々と抱いたまま、医局へと歩き出した。







「最大の功労者だ、よろしく頼む」
 








医者に声をかけ、そのまま部下へ目的地の変更と、

全員騎馬を命じる騎士に、ふと足を止めた医師は、少し考えてから声をかけた。









「レオニス殿。シオン、ですが。来れないと思いますよ」
 









訝しく思い振り向くと、女医は珍しくバツの悪そうな苦笑を浮かべている。









「来れない?」








「私の薬酒を飲んでいますからね、夕方まで、絶対に起きられません。

薬だけでなく、そのように魔法を篭めてあります」
 











魔法研究院に籍を置いたこともある女医は、普段魔力が無いと言い張って、

滅多に治癒魔法など使わないが、その気になればかなり高度な魔法も習得している。

おそらく飲んだかどうか、自分には判るようにもしてあったのだろう。










「あの男は、少し寝た方が良いんですよ。ただでさえ不眠症なんですから。

まあ、こんな時に運の無い話ですがね」
 








どこか申し訳なそうに、そのくせ楽しげな笑いを喉の奥で転がして、

マイルズはシルフィスを抱えなおす。










「日が暮れれば、おっとり刀で追いかけてくるでしょうよ。それまでは、貴方がお気張りなさい」
 









笑いながら数歩進み、騎士が自分をまだ見ているのに気づいたのか、

思いの外強い目で見返してきた。







「言っておきますがねレオニス殿。しくじったら、全員寮には入れませんからね」 
 







独身寮の寮母の脅しに、苦笑が返される。

同じように笑いながら、薄い青い瞳に、優しい光が宿る。









「私にだって、あの娘は大切な友人なんですよ」
 








皮肉な笑みの割には、優しい声音で言い残し、女医は患者を抱えて歩み去った。






 その後姿を見ながら、レオニスの脳裏に、少女の笑顔が浮かぶ。












『大切な友人』
 












あの少女は、彼女に関わるほとんどの人間にそう思われているのだろう。




 第一印象は大嵐か爆弾だった。
 







元の世界からたった一人、この世界に放り出されたという境遇への同情を置けば、

なるべく係わるのは願い下げと思うほど、賑やかな破天荒さに呆れた。
 







それが、孤独に負けまいとする気概の表れだと判るのは、そう時間がかかりはしなかった。













 元気で明るく、向うっ気と人懐っこさと、

何にも負けない心の強さを持った、優しい娘。




 これでは嫌う方が難しい。
 







あの魔導士のように、命に代えても求めるような、

激しい恋情ではないにしても、彼女が大切な存在なのは変わらない。






 以前、少女が、しみじみと洩らした言葉を思い出す。









『あたし、この世界に来て良かった。こんな優しい人達の居る世界に来れて、本当に幸せだと思う』
 









惚れた男の為に、親兄弟を捨てた言い訳だけど、

などと茶化しながら、彼女は大切にしてくれる人々への感謝をそう語った。





 ギリッと奥歯を噛締(かみし)める。
 





少女が優しいと評したこの世界は、今彼女に何をしている?
 










女神は少女を元の世界からここに引き込んだ挙句、

自分達からも奪い去り、なんと過酷な仕打ちをして見せるのだろう?












 取り戻す。必ず。今度こそ。
 









用意完了の報せに頷き、レオニスもまた、決意と共に足を踏み出した。

















「なんてとこだ……」
 




酷く醜悪な波動に、キールは何度目かのため息をついた。
 





煉瓦造りの館は、初夏の陽光の下にあってなお重く、陰鬱な空気で圧倒してくる。
 
そんな禍々しい瘴気の所為か、一周した館の周りには、

草木ですら枯れ果てて、さらに荒涼とした有様となっていた。
 




青年魔導士は、歩きながら探った。

館の放つ瘴気と、正常な大気との境界線へ進んでいく。








「ここでいいか……」
 







適当かと思える場所を見つけ出すと、腰に下げた小袋を取り出す。

袋の底に取り付けられた、真鍮(しんちゅう)の注ぎ口の栓を抜くと、

赤く色付けられた砂が、さらさらと細い糸となってこぼれ始めた。
 








風を気にしながら、キールはゆっくりと歩き出す。

その後ろには、彼の足跡のように、赤い砂の描く線が続いていく。
 







幸い風は無く、長い時間をかけて、ぐるりと館の周りを廻りきれた。






 始めに砂を落とした場所にたどり着くと、丁度袋の砂も尽きる。











「こんなもんだろう……」
 








後ろに残る赤い線を眺めて、青年魔導士は額の汗をぬぐった。
 


シルフィスが持たせてくれた水筒から、一口水を飲んで喉を湿らせると、

砂を風に飛ばされないように、固定の呪文を唱える。
 








呪文を受け、赤い線はその地に溶け込むようにしっかりと固まっていく。







「……ここじゃあ、長く居られないな……」
 







天頂へと駆け上がり始めた太陽を、ちらりと見遣って、キールは小さくため息をついた。
 







風が無いのは、砂が吹き散らされないので有り難かったが、

無風の上雲一つ無い晴天の陽気は、病み上がりの彼の体力を容赦無く削ぎ取っていく。
 








これから掛ける魔法は、長時間の忍耐を必要とするだろう。

剥き出しで陽光に曝され続けたのでは、長く持ちそうに無い。
 





無理にここに立ち、途中で気絶してしまっては、何の為に残ったのか判らなくなる。
 


思案しながら回りを見回し、ふと、近くに立つ(ニレ)の大木が目に入る。









「あそこがいいか……」
 









少し重くなった足を、半ば引き摺るようにして、

大きく枝葉を広げる大木の近くまで進むと、ゆっくりと振り返った。






 館を囲んで、ほぼ真円を描く赤い輪が出来上がっている。




 最も原初の形の魔方陣である。
 








真円。






完全なる(サークル)は、それだけで力の篭る力場となる。
 









クライン魔導士の最高位の称号である緋色を拝領する彼だからこそ、

荒野の丘という最悪の立地条件の中で、この円を描き出すことが出来た。
 







あらかじめ自ら魔力を篭めて精製した赤い砂は、緑の荒野の中で、かすかな光を放ってすらいる。
 






その赤く染めた染料の中には、彼自身の血が数滴混ぜられており、

それこそが魔力の媒体であるのだ。
 







原初の円、力の赤、そして魔導士の血。
 








そこに完璧な論理大系に基づく呪文と共に、

緋色の魔導士の魔力が注ぎこまれた。
 









ほんの僅か館の形が滲み、また元に戻る。
 








肩で息をしつつ、キールは楡の木陰へ逃げ込むと、

幹に背を預け、そのままずるずると倒れ込んだ。





 汗を拭い、館を眺める。
 








思っていたよりも数段きつかったが、首尾は上々である。



 中の連中は勘付いただろうか?
 










よほどの魔力を持つ者が、神経を尖らせてやっと見つけられる程度の僅かな空間の変化を。






 だが、これで連中は袋の鼠だ。
 








外側から入るのは容易く、しかし中からはもう出ることは叶わない。

そういう結界を張ったのだから。
 







後はこの結界を維持し続けるだけ。
 






普通の結界と違い、術者の魔力を消費しつづける特殊な力場である。





 レオニス達が到着するまで、持たせねばならない。




 幸い、この木陰なら、結界も街道も見渡せる。










「メイ……」
 








強い視線を館に向け、次に街道の彼方を見遣り、僅かに眼差しが曇る。
 

今頃は、この街道の遥か先を、彼の金髪の騎士が、王都へ向けて直走っている筈だった。








「シル……無茶するなよ……」
 








だがおそらく、無茶をしているだろう。

心配を口に上らせてから頭で否定する。





 そういう女だ。









「頼んだぞ……」
 








もう一度彼方へ視線を投げ、青年は再び館を睨み据え、

創り上げた結界へ、自分の魔力をゆっくりと注ぎ始めた。



























BACK  TOP