SECOND SEQUENCE1亡霊



 靄に映し出される情景は、やはり白い女から始まる。




 男にからみつき、喜悦の表情を浮かべ、その唇が何かを呟く。
 
音は聞こえない。
 

聞こえていたら、見続けるのは耐えられないだろう。
 
しかし、何度も見るうちに、その唇の動きがわかってきた。


 どんな時でも、その女は、一つの言葉を紡いでいた。





――シオン――
 




街の情景が映し出されるまでの僅かの間。
 


その唇の動きを見る度に、魔導士の、仮面のような笑みが崩れかける。


 人一人の人格を破壊する禁呪を使うが為の代償。
 



相手に掛けているはずの拷問が、そのまま己に返されるような、果てしない責め苦。
 
レオニスは、この術を使う度、魔導士の心が壊されていくのではないかと案じていた。

 

町の特徴を認めて、レオニスが頷く。
 


どさり、と術を掛けられていた男が膝を付き、だらしなく空けられた口から、泡になった(よだれ)が流れ出す。


 これで何人目だろう?


 あの夜、下法士から引き出した情報は、確実に人身売買組織のアジトに導いた。



 しかし、求める少女は、既に移された後であった。


 魔導士は戸惑いもなく、その場を仕切っていたと(おぼ)しい男に禁呪をかけ、新たな場所と、

思いがけなくも、次の手掛かりとなる人物すら引き出したのだが、その手掛かりもまた、空振りに終わった。
 

目的を果さぬまま、副産物である巨大な人事売買組織が摘発されていく。
 
今だ(かつて)て無いほどの大事件を、見事に解決したとして、元老院からの賞賛を受けたからといって、

この捕り物劇の主役二人の心が晴れるはずも無かった。
 


少女の手掛かりは、依然として、繋がっては切れ、切れては繋がる。


 まるで、靄に浮かぶ女の幻に惑わされているようだ。
 



 これはあの下法士の呪詛なのだと噂が囁く。
 

ガゼルを贄として、王都全体に呪詛を掛けようとした下法士は、魔導士による反呪で弱っていたことと、

更に重ねられた禁呪によって、朝を迎える事無く息を引き取っている。



 人格を破壊され、正気を失った哀れな最後であったが、

死の瞬間、彼は眼を見開き、不気味な叫びを放ったと牢番が言う。



 それは、意味の判らない妙な言葉で、『メギド』と聞こえたらしい。



 あまりの不気味さに、牢番は怯み、すぐさま上司へ報告されたのだが。

下法士は、叫んだ姿のまま絶命していた。




 奇妙な事は、それだけでは済まなかった。


 禁呪で記憶を引きずり出されたほとんどの者が、2〜3日以内に、おなじ言葉を放って息絶えるのだ。
 



これが全員であれば、禁忌の術の総仕上げかと思うところだが、呆けたまま牢内で生きている者も確かに居り、

この異常な状況には、術を繰るシオンですら首を傾げている。
 

だから、迷信深く魔導士という不可思議な力を駆使する者を畏れる人々に、

怨霊の呪詛という、人外の脅威を思いつかせるのだ。
 


嘗てシオン・カイナスと筆頭魔導士の座を争ったほどの魔導士が、

恨みを呑んで最後に掛けた呪いが、地下牢に篭めれている……・



 無知な牢番の中には、夜な夜な筆頭魔導士の名を呼びながら、

ぼんやりとした影がうろついているのを見た、とまで言い出す者も出ている。




 シオン・カイナスは呪われている……
 



彼の、決して少なくない悪評の中に、そんな項目が付け加えられていた。



 そしてある者は、こんな事まで言い出した。
 


この呪は下法士だけの物ではなく、先年牢死した、ラグナ・フォン・ローゼンベルクの無念こそが、そもそもの始まりなのだと……
 

策謀を廻らせ、筆頭魔導士を排除した上で、皇太子を廃嫡に追い込み、果てには害し、自分が取って代わろうとした。
 
王家乗っ取りの陰謀を企てた首謀者の死は、数日寝込んだ上であっけなく……という物だったから、

噂の信憑性も増そうというものである。
 

その上、壮年の年齢にしては早すぎる死が、皇太子の密命を受けた筆頭魔導士によって

毒を(あお)らせられた事実上の刑死ではないかという、当時からの噂と今回の呪詛騒ぎとが結びつけば、

牢内が、クラインを呪う怨霊の巣窟となってしまうのは、無理からぬ事とも言えた。



 だが、この噂は、さすがに穏健派の皇太子の逆鱗に触れた。
 

ローゼンベルク卿の死は、本人が元から持っていた持病が、失意によって悪化した為であり、

正式な刑罰に(のっと)らずに行われた毒殺などと、(まこと)しやかに言い立てるはもっての他、

あえて噂を言触らすのであれば、それこそが、王家に弓弾く事と心得よ。
 


皇太子セイリオスは、筆頭魔導士を従えて夜中の牢屋敷内を隈なく巡って見せ、

牢番が恐れる呪い等無いと証明して見せてから、厳かに言い渡した。
 


呪の当事者と(おぼ)しい二人のパフォーマンスに、熱に浮かされたような呪詛騒ぎもひとまず収まったかに見えたが、

恐怖というものは、一度根ざせば、闇の中にゆっくりと広がっていくのだ。

表立って口にしないまでも、噂は、まだ迷信深い人々の心に囁き続けている。
 
 



呆けた顔で虚空を見詰める、哀れな罪人を見ながら、レオニスは心の奥で再び嘆息した。


 あと数日すれば、また、噂の根拠が増えるかもしれない。
 
この禁呪の犠牲者が無くならない限り……


「では、用意に取り掛かります」
 

内心の懸念など曖気(おくび)にも出さずに、騎士団大尉は頷いた。


「ああ、頼むわ」
 

擦れた声音に、眉間の皺が深くなる。
 

振り向く先に、誰もが知っている、軽妙洒脱な魔導士は居ない。
 



青白く血の気を失った、整い過ぎた顔には、復讐を遂げたかのような、暗い喜びの笑みが浮かび、

人格を破壊された男を見下ろす姿は、そのまま背後の暗がりに溶け入りそうなほどひっそりとしている。


 牢内でわざわざ怨霊を探さなくとも、底光りする眼を持った幽鬼がそこに立っていた。
 

船着場の夜から、彼が自分の周りに(わだかま)る闇を取り払う事は無くなった。

相変わらず余裕の態度を崩さないにしても、どこか見る者を怯えさせる、迫力が漂っている。




 それだけ、精神が追い詰められているということだろうか?



「行くか……?」


「はい」
 

拷問部屋を出ると、牢役人が控えている。
 

禁呪の性質上、常に二人だけしか中に入るのを許されない為、

彼は入り口で、罪人が異様な有様になる拷問が終わるのを待つのである。
 

傷ましそうに室内を見やる牢役人に、後の事は任せると、レオニスとシオンは個別牢扉が続く長い通路を歩く。
 


自警団や騎士団にも、牢番所や営倉等があるが、王宮の牢屋敷(正確には北東に位置する塔なのだが)には、

王家に弓弾(ゆみひ)く反逆者が収容されている。
 

この牢屋敷の扉を潜り、再び外にでられる物は居ないと言われるほど、重罪の者が収容()れられるのである。
 


故に、常にそれほど罪人が居るわけではない。
 

地下三層、五階建て塔は、上に行くほど身分の高い物が入ることとなる。
 
王家の者が幽閉されていた記録もあり、囚人と言えども、その身分に併せて、

身の回りの世話をする者も付けられ、食事や生活必需品などへの配慮も怠らないのが通例である。
 


ローゼンベルク卿も、生涯幽閉とされてはいたが、このように不自由の無い生活をしていた。

だが、外界から隔絶される、一生をただ生かされるだけの、無意味な時の積み重ねに、野心家であった卿は耐えられなかったのだ。


 哀れな話ではある。
 

そして、拷問部屋のある、この地下では、不穏分子の死刑囚が、あるか無いか判らない明日に怯えていた。
 
今は大半が、生き長らえた痴呆の虜囚と、その部下だった人身売買組織の上部構成員達で占められている。


 下位の構成員達は自警団の牢番所に集められており、そちらでは何の異変も起きてはいない。




 
 ところどころに燭台が灯されただけの、暗い通路を二人は無言で歩みを進める。
 


上へ続く階段が見え始めたところで、魔導士はふと立ち止まり、大きく息を吐き出した。

 あわせて立ち止まった大尉は、無言のまま振り返る。
 


寡黙な騎士の視線に、どこか荒んだ飴色の目が睨み返してきた。


「……何か?」


「言いたい事があるなら、はっきり言ったらどうだ?」
 


難しい顔のまま自分を見詰める彼に、冷酷な仮面が僅かに揺らぎ、バツが悪そうな戸惑いが浮かぶ。

 年下の男のそんな様子に、レオニスは奇妙な安堵感を覚えて苦笑を漏らした。


「……・なんだ?」
 

魔導士が、気遣う相手へ反応すらしないほど、心を凍らせていないと判り、ほっとしたのだとも言えず。
 
剣呑に細められる双眸へ、騎士は微笑んだまま首を振り、懐から小瓶(こびん)を取り出した。


「これを、マイルズから預かってきました」
 

言いつつ魔導士に放る。

咄嗟に受け取って、瓶を見れば、明らかに魔力の篭められた、琥珀色の液体で満たされている。


「魔法薬か?」


「薬酒だそうです。彼女からの伝言があります

『騙されたと思って、とにかく呑め。明日まで何も考えずに済む』だそうですよ」




 怪訝な顔をする魔導士へ、騎士は肩を竦めて見せた。


「今日、彼女に、いきなり胸倉を捕られました。街で貴方を見かけたのだそうですよ。

『あの莫迦は何日寝ていない?』と、ものすごい剣幕でした。さすがの膂力で、絞め落とされるかと危ぶんだぐらいです」
 


筆頭魔導士とほとんど変わらぬ背丈の女医が、いかつい騎士の胸倉を掴みあげる様は、さぞ見ものだったに違いない。

さもありなんと、魔導士は苦笑した。
 


偏屈でぶっきらぼう、口を開けば嫌味が飛び出す。

シオンが目を掛けるあの後輩とよく似た性質の女医は、後輩以上に魔導士を嫌っている態度を取るが、

それでもかつての同期生という、切れない腐れ縁のおかげで、妙な眼力でも備わって来たのだろうか?



「やれやれ……薄っ気味の悪い女だな、あいつは」
 

瓶をおとなしく懐にしまいながら、業と憎まれ口を叩いて肩を竦める。

 不器用な旧友の気配りが嬉しく思えた。


「ま、準備ができるまで、御言葉に甘えさせてもらいますかね」 


 照れ隠しの苦笑のまま彼は歩き出した







―――……・・ン……―――
 




階段にさしかかった足が、再び止まる。


「どうし……」
 

不信気に振り返る騎士の声を、片手を上げて遮り、じっと通路の奥を見詰める。

 背筋を逆撫でされるような、異常に禍々しい感触が、通路に漂ってくる。



「何だ?・・・・これは・・・?」
 

魔導士としての感覚を研ぎ澄ませ、その気配の元を探っていく。







―――……・ォ――……ン―――
 






騎士の耳にも、何かが(むせ)び泣き、悲鳴を上げる声が聞こえ来た。



「こっちだ・・・」
 

低く呟いて、筆頭魔導士が踵を返す。
 


二人は、今来た道とは違う通路へ走り出した。







―――・・・シ・・・・・・・・ン・・・・・・・―――
 






咽ぶ嗚咽は次第に強くなり、途切れ途切れの叫びも明瞭になってくる。


 バンシーの様だとレオニスは思った。
 
人の死を予知し、その悲しみに泣き叫ぶ魔物。
 

死と絶望に覆われたこの場所には、実に相応しい。
 

通路を進むにつれ、妖気は更に強まり、毒気を含んだ瘴気(しょうき)となり、

魔力を持たない騎士にすら、はっきりと感じ取れるようになってきた。
 


自分でこうなのだから、元から察知していた魔導士には、如何許りのおぞましさだろうか?

ふと気になったが、懸念はいきなり耳元で聞こえた女の声に吹き飛ばされた。





―――シオン―――






「!?」
 




魔導士が、最も手近にある牢の扉に手を掛け、力任せに引き開けた。

 


空き部屋らしいそこは、かすかな軋みとともに開き、狭い室内が見て取れた。
 
所々に黒い染みがこびりつく石の床から、ほんの僅かに浮き上がり、白い影が揺れている。



 二人は息を飲んだ。
 


小柄でほっそりとしたシルエットが、水面にたゆたう月の影のように、ぼやけたり、滲んだりしながら、

次第にはっきりした輪郭をとり始める。
 


裾の長い薄衣がすんなりした足に絡まり、たおやかな体の線を強調し、それが女であるとわかる。

深く俯いた顔は定かではなかったが、白い姿はあまりにも儚げだった。





「……メイ……」
 




呆然と見詰めていたシオンが、擦れた声を漏らす。
 

一目見た瞬間に、彼にはそれが誰か判ってしまった。




 愛しい少女の白い影。
 



想像したくない可能性に、腹の底から震えがこみ上げてくる。
 

まさか……と、しかし、それを言葉として脳裏に浮かべる事すら、懸念を真実にしてしまいそうで、

ただ力無く首を振るしか出来ない。
 


思わず口に上らせた名前に、影が応えないように祈りながら……


 はたして、影が顔を上げ始める。



 やめろ。と、叫びたかった。
 


自分が求めるのは、こんな事ではない。
 

震えながら、強く奥歯を噛締める。恐怖に負けないように……
 

肩で切りそろえられた、白い髪が揺れる。硬く目を閉じた、少女の顔が顕になる。



「メイ……!?」
 


レオニスの声が遠くで聞こえる気がする。
 


米神(こめかみ)に痛みが走り、ぐりらと回りが傾いた気がした。
 
ガラガラと足元が崩れるような絶望感に震えながら、シオンは影に向かってにじり寄った。
 


近づく気配を察したか、不意に両目が開かれた。

全てが白い姿でありながら、唯一鮮やかな茶水晶の双眸が、真っ直ぐに彼を見返す。



 途端に、体の震えが止まった。
 



何があっても、自分を真っ直ぐに見詰めるこの瞳。揺らぐことの無い、真実を映す鏡。


 何にも代えられない。彼にとっての至上の宝石。
 


生気を失わない視線に、全身に纏わりつく、恐れと絶望が霧散する。



「メイ」
 


久しぶりに、心からの笑みが口元に浮かんだ。
 
そっと、白い影に近寄り、その輪郭をなぞるように手を指し伸ばす。


 実態ではない。それは良く判っている。
 


何の力の波動も感じない白い影。何らかの形での術なのかも知れない。

自分に何かを伝える為の。

証拠に、あの瘴気は何時の間にか消えている。
 


彼女の感性は、時として意外な結果を生み出すことがあったから。


 白く儚い姿に反する、強い茶水晶が、彼に希望を強めさせる。





「メイ……待っていろ。必ずお前を取り戻す」



 ふわりと、少女が微笑んだ。
 



シオンの声が聞こえたのだろうか?真っ直ぐに見上げる笑みを含んだ瞳に、彼もまた、深い笑みで応えた。


 小さな唇が動き、再び聞こえない声が響く






―――シオン……―――





「何だ?」
 



聞きたかった声が想い人の姿とともにシオンの中に染み込んでくる。








―――あたしはもう駄目なの……だから、みんなを助けて。クラインを守って―――






「!?メイ!」
 




微笑みながら発された言葉に、シオンの肩が揺れる。



「お前、何言ってる!?」






―――お願い……恐ろしいことが起こる……あたしの所為なの―――






 少女の笑みは変わらない。その笑みに、今の言葉はそぐわない。



「何言ってやがる。俺はお前を……」







―――あたしの事はいいの……あんたには、もっと大事な事があるでしょう?守って―――
 






愕然とする恋人に、更に深い笑みを投げかけ、その視線が入り口に立ち尽くすレオニスへ流される。








―――隊長さん……シオンをお願い―――






「……メイ」
 




いつも通りの笑みが、頷き返す。

あまりの事に、レオニスは何も言えず、ただ白い影を見詰め返す。

彼の位置からでは、シオンの表情は見えなかったが、その肩が目に見えて震えだすのが判る。




「馬鹿な事言ってんじゃねぇぞ……俺の諦めが悪いって事ぐらい、お前が一番知っているだろうが……」
 



怒りなのか、恐れなのか。

震える本人にすら、判別つかない激情の中で、唯一確かな物に感じられる茶水晶を睨みつける。





「お前を取り戻す……必ずだ!」
 



じわりと白い影が滲みだす。

同時に、笑みが揺らぎ、大きな瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。








―――バイバイ―――








「メイ!!」
 



何の余韻も無く、白い影が消え失せる。
 

引きとめようと伸ばされた腕は空を掻き、黴臭い暗闇がその場を占めた。

 シオンの膝が、力無く前に崩れ、長身が床に蹲る。




「……シオン様……」
 



最前の信じられない現象に、レオニスが擦れた声を出す。だがそれは、シオンの怒声によってかき消された。



「何が駄目だ!何がもういいだ!?俺は諦めない・・・あきらめねぇぞ!」



 怒気を顕にした叫びだが、その声は震え、掠れる。



「てめぇが諦めたって許さねぇ……取り戻す。絶対に。絶対だ!メ――イ!!」
 






暗い牢内に響いていくその声は、まさに、魂切(たまぎ)るような、号泣であった。




















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