6月の花嫁―或は、白百合の思い出―


 ラ・セーヌの砲術長。ジャン・シニエ中尉の結婚式は、ホロホールの中に開店した飲食施設『グラッセ・サロン』で行われた。
 非番の仕官や下士官とその家族など、日頃親睦のある人々が集まって、かなり大きめのサロンが狭く感じられる程だ。
 新郎新婦の人柄が、これで判るというものだろう。
 その中央正面。
 参列者が見守る、花と蝋燭の灯る燭台に囲まれた雛壇では、今日の主役たちが並んで神妙に頭を垂れていた。
「艦隊の規約に則り、今二人を夫婦とする。ムッシュ・シニエ、マダム・エルパ。おめでとう」
 真っ白な第一礼装を纏った司祭役の艦長が結婚証明書を新郎に手渡し、にっこりと両手を広げて式の完了を宣言すれば、参列者達が一斉に拍手と歓声を上げて祝福する。
 花やライスシャワーが惜しげもなく振りまかれて、新たな家族に降り注いだ。

「Juin marieeか」
 祝う人々からもみくちゃにされて照れまくっている初々しい夫婦を眺め、副長は自分が照れているような面映ゆい表情で呟いた。
 真っ先に砲術長の小柄な背中に祝福の張り手をかましてきたけれど、シャンパンを軽く掲げて二人をもう一度祝福する。
「マリベルは医療秘書として超一流よ。ジャンは完璧に健康管理して貰えますわ」
 となりにやって来た医務部長が、副長のグラスに自分のグラスを軽く当てた。
「あいつ腹壊しやすいからなぁ、良いことだ」
 祝福の為に勤務を抜けてきた二人は、普段の制服のままでグラスを呷る。
「新婚旅行はエルパイントですって。最近話題の海洋リゾート惑星よ」
「なにしろ明日到着する寄港地だしな」
 ラ・セーヌはこれから1カ月、交代で二週間づつ全乗組員が休暇を取る。
 それに併せての今度の結婚式だった。
「さすがはマリベル。地に足の着いた計画ですわね」
「今度の休暇の他に、新婚休暇に1カ月もやったんだって?」
 ちらりと亜麻色の頭を見下ろして、空になったグラスをボーイに渡す。
「気前のよい上司でしょう?」
 クスクスと笑う医務部長は、茶目っ気たっぷりに肩を竦めた。
「あんたが気前いいのは、良く知ってるよ」
 マダム・エリザベート。
 かつてそう呼ばれて国民から慕われた内親王は、慈善家としてとみに有名だった。
 王の妹でありながら生涯嫁がず。ひたすらに不幸な人々を助けようとした姫君は、次々と逃げ出していく兄弟や縁戚を横目に、最後まで兄一家と在り運命を共にした。
 彼女の処刑は王妃の時とは反対に、処刑を惜しむ人々に囲まれ、助命を願う声が最後まで途切れなかったと、ベルナールから聞いたのを覚えている。
 そんな彼女が、お気に入りの秘書の結婚祝いを出し惜しみする筈も無く、新妻は通常の四倍も休暇を貰って可能な限りゆったりと、新生活を始められる。
「ジャンも二週間追加でもらったしな」
 なかなか良い滑り出しだ。
 副長は満足気に新郎新婦へ目を遣った。
 小柄な夫婦は人波に被われてすっかり姿が見えないが、代わりに花嫁の側に居るらしい艦長の白い姿が、参列者の合間から見え隠れしていた。
 艦内での冠婚葬礼は、全て艦長の許可と立会いを要する。
 これは船というものが、風と人の力だけで動いていた頃からの不文律。
 この艦に乗り込んだ全員の命へ、彼女が負う責任の一つだ。
 人によっては、ホロデッキで教会を呼び出し、司祭の執り行う式を挙げる者も居るが、砲術長は当然のように敬愛する艦長へ式を委ねた。
 旧衛兵隊士としてはあまりにも当たり前で、目の保養でもある。
 ジャンよくやった。と、大半の仲間は心の中で絶賛しているのを、副長は知っていた。
 なにしろ連合艦隊提督の第一礼装は彼女によく似合う。
 通常の黒い軍服とは違う、純白で硬い布地の上下が細い体を包み、腰まで伸ばした黄金の髪がボタンやモールと呼応してシルエットを浮き上がらせている。
 両肩の黒い肩章(エポレット)には提督を示す四本の金ラインが並ぶ。
 小脇に抱えた制帽が、ピンと伸ばされた姿勢を際立たすのに一役買っていた。
 胸元を飾る徽章になった略式の勲章群は、あたかも花のブローチのように色とりどりで数も多い。ガルトの時代以降の十年近くを、彼女がけっして無駄に過ごさなかった証である。
 式典で 何度も見てはいるが、その都度に見惚れてしまうのだ。
 姿形だけではなく、礼装が表す彼女の生き方そのものに。
 まあそんなの、誰にも言った事は無いが。
「オスカルの結婚式は素敵だったのでしょうね」
 相変わらず聡い、突っ込み体質の医務部長だ。副長の視線の先をやんわりと揶揄してくる。
「あれ? あんた参列してなかったか?」
 即座に反応するほど初心ではなくなった副長が、むしろ発言の中に込められた憧れに目を見張った。
 彼女にも、人並みに結婚願望があったのかと、失礼な感想を持ったのだ。
 妹に知られればまたもや『兄様最低』と呆れられるのが必定なところだが、幸いにも今回は彼の心の中だけで収まった。
「わたくしとジョセフが呼ばれたのは、式から半年も過ぎてからですもの。録画やお話は見聞きしてますけれど、やはりその場に居たのとは違いますわ」
 僅かに寂しげな響きが混じり、ああそういえば、と副長の記憶を呼び覚ます。
「あんたら馴染むのが早かったから、そんな事すっかり忘れてたよ」
 偵察、斥候、索敵に小競り合い。
 地道な作戦から前線基地に戻れば、当時医学生だった彼女が、軍医の指示の元走り回り検査や手当てをしてくれた。
 明るく元気でしかも小生意気な彼女とのやり取りは、殺伐としてささくれ立った作戦後の心を和せてくれたものだ。
 妹や素直であどけない子供だったルイ・ジョセフと共に、帰還に迎えてくれる笑顔が苦しい戦いを支えてくれた。
 懐かしい。素直に微笑むと、きょとんとした青い目が見上げてくる。
「どうかなさいまして?」
 珍しく無防備な表情が、可愛いなんて。口が裂けても言いたくなかったから、肩を竦めて片頬を引き上げた。
「式の間中、アンドレの野郎が半泣きで、可笑しかったのさ」
 科学部長と共にブリッジで留守番しているカウンセラーの、多分一番幸せで一番みっともない姿を思い出し、同時に心底の古傷を引っ掻く艶やかな女神の姿を思い出す。
 今と同じ純白で、今とはまったく違う華やかなドレスを纏った花嫁。
 たゆたう水が流れ落ちる光に、包まれているかのような思い出の一場面。
 初めて目にした女性としての姿が、他の野郎にいそいそと嫁に行く証しとは、勝ち目が無さ過ぎて祝うしかない。
「誰憚る事無く、愛する人と結ばれるんですもの。どれほど幸せなのでしょう。そういう時に見せる殿方の涙は、わたくし、嫌いではありませんわ」
 夢見るように呟く声に、回想から引き戻される。ふと興味が湧いて、何の気なしに口からこぼれ出た。
「あんたは、なんで嫁に行かなかったんだ? 引く手数多だったろうに」
 楚々とした美貌の元王女は、不意に皮肉な笑みを浮かべて副長を見上げた。
「ええ。王の孫娘や妹には、地位や権力を夢見る求婚者が沢山でしてよ。自慢ではありませんが、とてもモテましたわ」
 迂闊な発言を、珍しく彼は後悔した。少し考えれば判る事だ。王族も貴族も、欲得絡みでしか結婚などしない。妹の自殺はその利用価値の無いものと切り捨てられた結果だった。
 潔癖な王妹が未婚を通したのは、腐った社会への反発と、兄夫婦の不幸な政略結婚を目の当たりにしたからだろうか。
 結婚に夢など持てる筈が無い。
「……ま。そうだろうな」
 謝るのも当てはまらない気がして、ごにゃごにゃと誤魔化す。
 清廉な女傑はまたクスクスと笑った。
「貴方も同じでしょう? 将軍」
 痛いところを突かれて、彼は苦笑した。
 ナポレオンの側近。名のある将軍。この肩書きに群がる女や、コネを求める居残り貴族達。ついでに商魂逞しいブルジョア連中が宛がいたがった娘達。今思い出しても反吐が出る。
 鮮烈な戦女神の洗礼を被った者には、どんな女も物足りないし、目も惹かない。
 ジャルジェの雌獅子に唯一似た生き様を見せた女は、目の前を通り過ぎて別の男の妻として死んで逝った。
 つくづく、いい女には縁が無いらしい。
「ジャンには。幸せになって欲しいもんだ」
 不毛な思い出から、現実へ戻る事にする。
「マリベルが付いてますのよ、大丈夫。そして、ジャンのプロポーズの言葉で、きっと二人なら何でも乗り越えていけるって、思いましたわ」
 さすが医務部長、花嫁から聞きだしたらしい。
「へえ? なんてったんだ、あいつ」
「自分には医務部長やディアンヌや艦長よりマリベルが一番綺麗で可愛い。一番傍に居て欲しい。だから、僕を夫にしてください。ですって」
「ずいぶん腰の引けたプロポーズだな」
 思わず噴出す。ノエルにカウンセラーから受けたアドバイスの結果がその台詞かと思うと、さらに可笑しかった。
「貴方は言い触らす方ではないからお話しますのよ」
 チクリと釘を刺してから、部下の幸せを願う優しい上司は微笑んだ。
「封建生まれにしては、女性の事を尊重して、マリベルの生き方を認めてくれる方だと思いますわ。だからわたくし。素直におめでとうと言えましたの」
 自分たちの生まれた時代のような、女が男についていかなくてはならない社会ではない。夫婦となるには、友人と付き合う以上に信頼と対等と思いやりが要求される。
 ジャンならそれができるだろうと、男には特に厳しい彼女が認めたと言うことだ。
 副長は、反論する必要も無く、微笑んで頷く。
「あんたの慧眼は確かさ。ジャンなら大丈夫」
 同意を得て満足したらしい医務部長は、ゆっくりと出口へと歩き出した。
「お話できて良かったわ。アラン・ド・ソワソン」
「戻るのか?」
「ええ。ディアンヌと交代してあげなくてはね。あの子も今日を楽しみにしていましたもの」
 ではご機嫌よう。何時もながらお上品な挨拶を残して、ほっそりした姿が人波をすり抜けて、店を出て行った。
 自分もそろそろ戻らないと、とクロノを見て時間を確認する。
 この店の店長であるホログラムの老婦人と、何やら相談している艦長の白い姿をもう一度見つめてから、彼も式場を後にした。


「あ、お帰りアラン」
 ブリッジの手前のラウンジから、ノンキな声が飛んできた。
 休憩中のカウンセラーが、コーヒーカップ片手ににっこり笑いかけてくる。
「よう」
 白いドレスと白い礼装が脳裏をちらついている今、あんまり見たい顔ではなかったが。まあ、居て当然なので片手を挙げて挨拶を返す。
「式はどうだった?」
 これまた当然の質問に、良い式だったと定番の返事をする。
 副長はそのまま通り過ぎ、ブリッジに入れば良かったのだ。
 だが、彼はラウンジに入り、カウンセラーの顔をしげしげと眺めた。
「? 何?」
 キョトンと見返してくる黒い目は、無防備に見えて鉄壁の守りの中にある。
 つまり、食わせ者だ。
 悪人とは程遠いし穏やかで優しいのも確かだが、だからといって仕種や見た目そのものを信じていいか? となると別物だ。
 永年の従僕生活と、秘めた恋。重い荷物を後生大事に抱え続けたお陰で、この男は暢気者の仮面を被るのが大の得意ときたもんだ。加えてカウンセラーなどという職業を選んだ所為か、その傾向に拍車が掛かっている気がする。
 初めて会った時の惨状は、そんな仮面にがたが来て綻びかけた珍しい状態だった。今振り返れば、それが良く判る。
 だからこそ、腹の読み難いこの男を友人として信用できるのだろう。
 最も苦しい時に、自分に曝け出して見せた本音の為に。
 問題は、その本音が今は報われて、しかも報われた結果が逆に自分の方を苛んで来るというあたりだが。それこそ口が裂けようが天地がひっくり返ろうが、ゴーストがまた攻めてこようが言う気など無い。
 ちらちらと脳裏を過ぎる白い花嫁。
 十年以上経ったのに、なんで古傷の瘡蓋の下が塞がり切らないんだろう。
 あの花嫁姿は。それまでの十五年。抱え続けた悔恨と憧れが、報われた時でもあったのに。
「……なぁ。いったい何なんだよ?」
 無言で見つめられて、カウンセラーは訝しげに身じろいだ。男が男から見つめられたら当然の反応だろう。
「いや……別に」
 医務部長にうっかり投げかけた愚問と同じに、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「何で、『言えるなら言う』なんだ?」
「は?」
 またもや黒い目が丸くなる。
「ジャンが、お前のアドバイスってか誤魔化しに乗って、嫁さんゲットだ。あんとき、お前が何で言えないなんて言ったのか。妙に思ってな」
 言い訳がましく説明すると、カウンセラーの端正な顔が、ふにゃりと笑み崩れた。
「半年前の話、今頃いきなりするなよ」
 邪気のない笑みが和んだ空気を連れてくる。副長は肩を竦めた。
「気になんだよ。エリザベートが来てうやむやになっちまったし」
 白百合のような花嫁は、どんな言葉を聞いてあの衣装を纏ったのだろうか。
 いやそれよりも遥か前。
 バスティーユの石畳に横たわった彼女は、どんな言葉を胸に秘めて微笑んだのか。
「ん〜まいったな」
 困った様子で頭を掻く姿に苦笑が漏れた。
「そんなに困るくらいこっぱずかしい事言ったのか?」
 ここらで勘弁してやるか。柄にもない仏心で切り上げようと声を掛ける。
 だが、そんな情けは徒で返された。
「いや、別に恥ずかしくは無いんだ。なにしろ俺は言ってないから」
「え゛?」
 今度は副長の黒い目が見開かれる。カウンセラーはヘラヘラと笑いながら頭を掻いた。
「あいつから言われちまってさ。まぁ、あの時代じゃ俺からは言えないけど、あいつに言われた時は、心底驚いたよ。あ、あいつが何て言ったかは、絶対言わないぞ」
 幸せボケした顔で、この期に及んで照れているカウンセラーを見据えながら。
 副長は己の愚問に今度は殺意を覚えた。
 




      ちゃんちゃん