sweet |
「やっほー、元気してた?」 何時ものように、元気良くドアを開けて、 「よう、来たな」 これまた調子良い挨拶と共に、壁際に立っていた男が振り向く。 「失礼しました!!」 間髪入れず閉じられるドアに、部屋の主は首を傾げた。 「なんだ?」 一方、慌ててドアを閉めたものの、あまりの衝撃に固まってしまった少女は、動機を押さえるように胸に手を当てて喘いでいた。 「あーびっくりした…」 何を見たというのか、その顔は蒼白である。 「人間長生きはするもんだ…あんなもの見るなんて…」 17年も生きてたけどあんなのは初めてだ。などと呟く少女の目の前で、ひょいとドアが開く。 「何してんだ、嬢ちゃん?」 「うっきゃぁぁぁぁ!!出てくるなぁぁ!!」 顔を出した男を、大慌てで部屋の中へ押し込める。ついでに一緒に入ってしまって、後ろ手でドアを閉めたまま、カチンと固まる少女を、男は疑問符を回りに飛ばしながら、まじまじと見つめた。 一方少女も、やはりじっと男を見詰めている。 暫し、二人は見詰め合った。琥珀と茶水晶。同系色の視線が絡み合う。 しかし、甘やかな空気はどこにも無い。 少女は、蒼白なまま、男は疑問符を浮かべたまま… さて、二人には見詰め合ってもらうことにして、とりあえず舞台説明をしておこう。 ここは、クライン。ワーランドの海洋に浮かぶカダローラ島の中にある小国である。 なかなか楽しい連中のいる国なのだが、今回は関係ない。 そして、この部屋は、クラインの王宮内にある、筆頭魔導士の私室なのだ。つまり、部屋の主はクラインの王宮筆頭魔導士。仕事をしないと評判の男、シオン・カイナスとなる。 で、その偉い肩書きの人物を、恐ろしいものでも見るように怯えている少女は、藤原芽衣。 実のところ、クラインの国家機密的な存在なのだが、本人はいたって元気なただの少女である。まあ、小柄な体に信じられないくらいの威勢の良さで『台風娘』などと呼ばれているが。その説明も、今は関係ない。 「なあ…どうしたんだ?」 横たわる沈黙に、先に音を上げたのは筆頭魔導士であった。 無造作に頭に手をやると、絢爛豪華な錦織の藍色の衣装が揺れて、さやさやと衣擦れの音なんかが聞こえる。 芽衣はびくんと体を竦ませた。 まるで襲われるといわんばかりの反応に、筆頭魔導士はため息を吐いた。 「ど〜しちまったんだよ、そんなに変な格好か?」 頭を掻きながら自分の姿を見下ろす。 そう、今日の彼はいつもと違う。 常ならば、黒っぽい長衣に今の季節なら半袖のシャツ。緑の肩掛けを引っ掛けて、ぞろりとしているのか動きやすいのか、判別つかない格好なのだが、今身に纏っている物は、華やかに光沢のある藍色の錦で織られたローブが何重かに重ねられ、肩に掛けられるのは同系色のマント。すべてに共糸で細かい刺繍が施され、それが高い身長と程好い逞しさのある体格と相俟って、実に見事な男っぷりに仕上がっている。 ついでに彼の特徴である、ポニーテールにした半端じゃない長さの紺紫の髪が、この衣装に良く映えている。 普通なら、怯えるよりは見惚れるだろう。 しかし少女は、筆頭魔導士をひたと見詰めながら、さも恐ろしげに生唾を飲み込んだ。 「だ…だってさ…」 「おう」 またも沈黙。 茶水晶の瞳が揺れる。 この少女にしては珍しいほどの戸惑い振りに、魔導士は先を促すように顎をしゃくった。 「言ってみ」 再びこくんと喉が動く。 「あ…あんたの…顔…」 小さな手がおずおずと魔導士を指す。彼はにやりと笑みを浮かべた。 「この美し〜顔の、どこがどうしたって?」 言いつつ女より綺麗と定評のある、長い指で顎をさする。 「自分で言うな」 お約束の突っ込みで返しながら、少女はやはり固まっている。 そう、確かに、自慢するほど整った顔をしているのだ、この男は。 秀でた額、彫りの深いすっきりととおった鼻筋、絶妙なラインの眉は、きっちりと眉墨で補強され、嫌味にならない茶系統のシャドウに強調された、アーモンド形の琥珀の瞳には、アイラインが良く映える。白い肌はファンデーションののりも良く、元々薄い髭の剃り跡も目立たない。そして何より、しっとりと艶を帯びた唇は、薄い紅色。人の悪げないつもの笑みも、妖艶さを増していて…あれ? すべての原因はここにある。今少女の目の前に立っているのは、豪奢な衣装と相俟って、倒錯的な妖しさを思いっきり振りまいている、化粧をした筆頭魔導士であった。 芽衣が固まるのも無理は無い。 「…なんでお化粧なんかしてるのよ…」 理由を聞きたいような、聞きたくないような… 困惑する少女に、魔導士は更ににやりと笑って見せた。 「あまりの美しさに惚れ直したか?」 ほんのりと赤くなっている芽衣の頬を目ざとく見抜いて、ぐんと顔が近寄ってくる。 「ばっ…近寄んな変態!!」 今度こそ真っ赤になって投げつけてくる罵声に、魔導士は傷ついたと言わんばかりに、がっくりとうなだれた。 「ひでぇなぁ…せっかく頑張って化粧したのに」 「んなもん頑張んなくって良いわよ。なんでそんなのしてるのよ、気色悪い」 ドアを背負ったままわめき散らす少女に、魔導士は盛大なため息を吐いて見せる。 「なあ、嬢ちゃん。お前さんが今日、何しにここに来たか覚えてるか?」 「へ?」 いきなり妙な事を聞かれて、芽衣は点目になった。 「何しにって…?」 きょとんとする少女に、美貌の魔導士はだんだん渋い顔になっていく。 「なぁ、いくらなんでもボケるには早い年だぜ。この一月、俺とお前さんとで、何やってきた?」 そうは言われても、インパクトのある美人が目の前で動いていて、頭の中は真っ白だ。 その美人は、渋面に険悪な雰囲気まで漂わせて、芽衣を睨んでいる。普段の彼とはえらく風向きが違う。コリャやばい。少女は危機を察知した。 「え…え〜と。え〜と…」 白くなった頭を必死で動かして、何とか記憶を引っ張り出す。 「あ、季節祭」 「やっと思い出したか?」 呆れたような声音に、てへっと舌をだす。 「ごめんごめん、顔見たら忘れちゃってさ。インパクト強いんだもん」 テレ笑いの少女に、悲しげな魔導士の視線が投げかけられる。 「顔見て思い出すってんなら判るけどよ、顔見て忘れられたら、立場ね〜ぜ、俺」 そうぼやきながら、再び壁際へ歩み寄り、壁に立てかけられた姿見を覗き込む。 「鳥肌立つのを我慢しながら、せっかく塗りたくったっつーのによ」 口ではぼやいているが、しっかり全身のチェックをしているあたり、かなり気に入っているのでは?と芽衣は疑った。 「悪かったわよ。ンな事より、あたしの衣装は?」 やっとドアから離れて口を尖らせる少女に、筆頭魔導士の綺麗な手が、続き部屋のドアを指し示す。 「寝室。下着から全部置いてあるぜ」 「え〜!?下着まで?」 「しかたねーだろう、神様事なんだから、規定があるんだよ」 不満げにぶつぶつこぼす芽衣に、更に言葉が掛けられる。 「ま、本来男物だから、コルセットみて〜なしち面倒なのはねえよ。一人で着れるだろう?それとも、着せてやろうか?」 「いらん!」 意地の悪い申し出を、即座に却下して、芽衣は寝室に飛び込んだ。 「覗いたらぶっ殺すわよ!!」 閉まりかけたドアから、凶悪な牽制が飛ぶ。筆頭魔導士は肩をすくめて見せた。 「んな怖いことしませんって。ま、わざわざ覗かなくったって、何時かは、見せてくるんだろ?」 「馬鹿!阿呆!変態!外道!」 罵声と共にドアが力いっぱい閉じられる。ぶち壊しかねない勢いに、魔導士はくつくつと笑いを漏らした。 今の会話では判り難いだろうが、この二人は、俗に言う恋人同士という関係にある。 もっとも、人をからかうのが趣味な道楽者の筆頭魔導士と、向こうっ気の固まりながら、乙女の純情全開の少女との掛け合いは、どつき漫才に終始して、半年近く経っているにもかかわらず、いまだにキス止まり…。 相手が名うての女っ誑しという実績から鑑みれば、奇妙、というか、医者に見せた方が良いのか?と考えたくなる事態かもしれない。 だから芽衣は、混乱するのである。 「待ってくれてる、って思って良いのかな…?」 シオンの今までの相手は、みな美女と評判の高い大人の女性ばかり。対して自分は、180°方向の違うただの少女なのだ。彼の昔の女達から、釣り合わないだの、変わってるから興味があるだけだろうなど、結構あからさまに陰口を叩かれているのを知っている。 おまけにあの男は、冗談みたいな口調でしか『愛してる』と言わないのだ。 心をかき乱すそんな言葉を、冗談口に叩かれるのが腹立たしくて、ついでに軽い調子で抱きついてきたり、頭を撫ぜたりと、あくまでからかっているようにしか見えない態度にもむかついて、ついつい攻撃的な態度に出てしまう。 自分が大人になるまで待ってくれている。そう思いたいのだが、ただの暇つぶしにからかわれているだけなのかも知れない… まじめに気障に、愛の囁きなんざ受けた日には、真っ赤になって相手をど突き倒し、そのまま逃げていくであろう自分の性格を棚に上げて、芽衣はアンニュイにため息などをついていた。 男物とはいえど、ブラがわりに置いてあったさらしに手間取って、どうにか着付けを済ませた芽衣が寝室から出てくると、筆頭魔導士が支度を終えて待っていた。 「お、ちゃんと着れたみて〜だな」 再び芽衣はまじまじと魔導士を見る。 「ほえ…」 今度は蒼白ではなく、ほんのりと顔が赤らむ。 「ど〜した?」 首をかしげる魔導士に、はたと我に返って、ぶんぶんと首を振る。 見惚れていたとは言いたくない。 「なんでもない!珍しい髪型してると思ってさ」 慌てて言い訳をする芽衣に、見抜いたといわんばかりににやりと笑って、それでもあたりまえの答えが返ってくる。 「ああ、これも一応規定だからな」 長い紺紫の髪は、珍しく下ろされて、後ろで一つに括り、さらに何箇所かを止められて、背中に流されている。そして鬢付油で上げられた前髪の変わりに、額には複雑な文様が透かしになった銀のサークレットが嵌められている。 妖しい化粧と豪奢な衣装、それに皇太子張りの髪型で、どこぞの王侯貴族で通りそうな華やかさである。 そんな歩く豪華が、ひょいひょいと手招きする。 「ほれ嬢ちゃん、こっちにこいよ、仕上げしてやるから」 「あ…あたしもお化粧しないと駄目なの?」 姿身の前に置かれた椅子と、傍に引き寄せられたワゴンに載せられた化粧道具一式を見て、少女が尻込みをする。 「規定だからなぁ。俺がここまでしているのに、お前さんがすっぴんってわけにはいかね〜だろう?」 引き受けるんじゃなかった。芽衣は激しく後悔しながら、厭々椅子に腰をおろした。 「それにしても、どうして魔導士が踊りなんて踊らないといけないの?」 男の癖に手馴れた仕草で化粧を施していく魔導士に、密かにこんな趣味があるのではなかろうかと疑いつつ、芽衣は口を尖らせた。 「お前さんそれ聞くの15回目だぜ。神様事なんだからしょうがねぇだろうが」 「それは判ってるけどさ、そもそも、クラインの魔導士の棟梁が、なんで女神様に踊りを奉納するのかいまいちわかんなくてね、去年は無かったでんしょう?」 そう、今日は春の季節祭である。 去年、芽衣がこの国に引きずり込まれた時は、右も左もわからなくて、こんな催し物があるなど知らなかったのだが、毎年春の季節際には、王家が女神の神殿で春の訪れと、秋の収穫を祈願して、華やかな祭典が開かれるのだ。 去年の祭典では、皇太子の演説の跡、暴漢の乱入があったらしいが、あいにく芽衣はその場にいなかった。 そして今年は、何でも特別な年らしい。 「これも何べんも説明したぜ。10年に一度、女神の加護と国の平安を祈願して、筆頭魔導士がそれに順ずる者と舞を奉納するんだよ。エーベの女神様は魔道の長だからな」 そう、普段の年は神官が舞うのだ、だから芽衣とシオンは、この一月、神殿で舞を習ってきたのである。そして、今日、そのお披露目となるのである。 「でもさ、なんであたしなの?」 舞は二人一組で踊られる。しかもそれは、本来なら男性二人でなされる踊りなのだ。初級魔法を組み合わせて繰り広げられるかなり勇壮なものとなっている。 「そりゃあ、お前さんの保護者のキールが嫌がったからだよ」 若いくせに、人前に出ることはおろか、人と付き合うことさえ拒絶している偏屈学者の顔を思い浮かべて、芽衣は深くため息をついた。 「もし、無理やり出されるんなら、田舎に帰るとまで言ってたもんね、意味が良く判ったわ…」 そう、舞手は筆頭魔導士と『それに順ずる実力を持つ者』なのだ、だが、bQの緋色の魔導士は『死んでも嫌だ』と、今にも荷物をまとめそうな勢いで、仕方なく、彼の保護下にある少女に白羽の矢が立ったのだった。 もちろん、その影に筆頭魔導士の暗躍があったのだが…芽衣は知らない。 「ま〜な。規定に化粧まであるからな。前回は先任の筆頭魔導士が補佐官と踊ってたけどよ、二人ともジジィで気色悪かったぜ」 今回は観客も喜ぶだろう、などと、けらけら笑いながら、芽衣の髪をまとめて、短い髪に付け髪のお下げを継ぎ足す。自分と同じ髪型にした少女の額に、少しだけ小振りのサークレットを嵌めて完成となった。 「よし、見てみな、嬢ちゃん」 肩に掛けられていた布が外され、芽衣はゆっくりと立ち上がった。 「うわぁ…」 思わず声が漏れる。 自分の姿にびっくりした。 魔導士と同じデザインながら、鮮やかな緋色の衣装が、付け髪で長くなった茶色の髪を映えさせる。魔導士と対のサークレットは金であった。 そして顔はと言えば、象牙の肌を損なわぬ程度に薄く塗られたファンデーションが小作りの顔を浮き上がらせ、シャドウは茶系にかすかに赤色が混ぜられて、くっきりとアイラインを引かれた茶水晶を引き立てる。頬は薔薇色で初々しさが強調され、小さな唇には桜色の口紅が濃淡をつけて塗られていた。 どこのお姫様?なんて、乙女心が浮き上がる。 後ろから、自分の仕事に満足しているらしい、筆頭魔導士の声が掛けられた。 「お前さん肌が綺麗だから、化粧が映えるぜ」 軽い口調にぴくんと眉がはねる。 「肌だけはね」 ふん、と鏡から目を逸らす少女に、魔導士は小さく笑う。 「すねるなよ、後は全部可愛いんだからよ」 綺麗と可愛いはかなり違う。 まただと思った。 この男は、いつもこうやってからかうのだ。 「ど〜せ、あたしはお子様ですよ…」 いじけたように呟きながら、こんな態度が取りたいのではないと、内心焦る。いつも、彼には素直になりたいのだ、そして、彼の冗談抜きの本音が聞きたい。 今日の自分は、魔導士にどう映っているのか、言葉尻からなんとなく感じるのではなく、言葉で知りたい、聞き出したい。 だが、天邪鬼で意地っ張りな少女は、口を尖らせて横を向くしかできないでいた。 自分にさえ素直になれない少女の肩を、ふわりと魔導士が抱きしめる。 「シオン、衣装が汚れるって」 まだからかうのか、眉を寄せながら芽衣が抗議する。しかし、返ってきたのは意外な言葉であった。 「参ったなぁ…」 ため息のような声に、芽衣の心臓がはねる。 「何よ…?」 「神殿に行くのが嫌になってきたぜ」 シオンの腕に、自分の動悸が伝わるんではないかと危惧しながら、芽衣はつとめて平静な声を出す。 「あたしを他のやつに見せたくなくなった、なんていうのは無しよ。すぐそうやってからかうんだから」 背中にくつくつと密かな笑いが伝わってくる。 「そうだなあ、それもあるけどよ。今すぐお前さんを、隣の部屋に引きずり込みたくてしょうがなくなってんだ…」 なんですと? となりと言えば寝室である。 「ば・・・何考えてるのよ!?この変態」 慌てて逃れようとする少女の肩を、魔導士の腕が強く押さえる。 「マジ本気。だからさ、暴れるなよ。今抵抗されると、俺、何するかわかんねーぞ」 あくまでも囁くように、しかしその声からは、常の冗談めいた響きは消えていた。只ならぬものを感じて、芽衣がじっと体を堅くする。 さらに魔導士の腕に力が篭る。 「芽衣。忘れるなよ。俺は、お前に本気だ。何時でもお前を、女として見ている。餓鬼だなんて思っちゃいない。今みたいにいきなり押し倒したくなることなんて、何べんもあるんだぜ。だがな…俺はお前に強要はしない。何でか判るか?」 心臓がはねる。 「…待ってくれてる…から?あたしが大人になるまで…」 声が擦れる。怯えているようで嫌だと思う。 「いいや、餓鬼だなんて思っていねぇって言っただろうが。俺はな、お前の人生を貰うつもりでいる。んで、俺が貰っちまうと、お前さんは、取り戻せなくなるものがあれこれ出てくるだろう?」 はやまる動悸に、別の痛みが混じる。 取り戻せなくなるもの、それは、自分の生まれた世界。 両親、兄弟、友達。大切にしていた何もかも… 理不尽なほど突然に、自分から奪われた数々のもの。 召還魔法の失敗と言う、無責任な原因で連れて来られたこの世界から、何とか帰ろうと、魔法を学んできた。だが、未だに帰る方法は見つからない。 それでも、来た限りはしょうがない、何とか居心地をよくしようと、持ち前の負けん気で突き進んできた。そうしてできた多くの友人達。 そして何よりも愛しいと思う一人の男。いま自分を抱きしめている魔導士。 自分はどうしたいのだろう? 今でも時々、家族を夢に見て泣いて目覚める朝がある。 そのくせ、いきなり元の世界に戻ってしまって、こちらの世界を、この男を、恋しがって泣く夢も見る。 どうにも結論の出ない、堂々巡りのこの頃。 どっちつかずの自分に腹を立てて、魔導士に八つ当たりをする時もある。 そんな自分を、この10歳年上の男は、すっかりお見通しというわけだ。 優しい声が静かに続く。 「人生貰うんだから、先はたっぷりある。焦る必要は無い。だから、俺は、お前に任せることにした。どうしたいのかはお前が決めろ。俺は待ってる」 芽衣はそっと苦笑した。 こうしろ、と言われて、聞くような自分ではない、シオンは判っていてくれるらしい。 見透かされて悔しいのか、見守られて嬉しいのか判らない。 だから、ついつい、憎まれ口が飛び出してくる。 「無理しちゃって…」 「ああ、無理してるぜ。だからお前も、気合入れて選べよ。この俺が主導権渡すんだからな、それなりの覚悟ってのを見せてくれよ」 口では嬢ちゃんなどと、子ども扱いしているようで、その実シオンは自分を対等に扱ってくれている。 甘えることを良しとしない性格に、だったら、自分の足で立てるだけ立ってみろと、どうにもならなくなったら受け止めるから、気の済むまでやってみろと、もう一つの意味が、言葉の後ろに見え隠れする。 少女はゆっくりと頷いた。 「判った…根性入れて考えるよ」 半分方決まっているような気もするけど…業と口にしないで、心の中で付け足してみる。 「おっしゃ、んじゃ、契約といこうぜ」 元の調子を取り戻した声音が弾み、不意に解かれた腕が、肩を掴んで体を反転させる。 「契約?」 首をかしげる芽衣に、妖艶な美人がにやりと笑ってみせる。 やっぱり心臓に悪い顔である。 「そ、契約」 軽く頷いて、心臓に悪い顔が迫ってくる。 「え?」 たじろぐ少女の唇に、魔導士のそれが軽く重なって、チュッと音を立てる。 「ば…」 逃げる頤を、長い指が捉えて固定する。 「逃げるな、契約だ」 「口紅ずれちゃう」 思いっきり至近距離で、琥珀の瞳が笑う。 「塗りなおしてやるから、心配すんな」 反論は、魔導士の口の中に吸い込まれてしまった。 ずれた口紅を塗りなおして、鏡の前でチェックを済ませると、奇妙な顔をしている少女に、魔導士が笑いかける。 「どうした?変な顔して」 「…さっきのキス…さくらんぼの味がした…」 変だなぁと首をひねる芽衣に、魔導士は二つの紅皿を持ち上げた。 「いい味だったろう?」 なんだかご満悦。 「もしかして、この口紅の所為?」 「そ、二つの色がキスで融けて混じると、味を感じるようにしてある。試してみたかったが機会が無くてな」 これを商売にしたら売れるかも、と笑う魔導士に、芽衣は軽い頭痛を感じた。 どこか崩れている元の世界なら、こんなものが出てくるかもしれないが、厳格な封建社会のクラインで、どうしてそんな発想が出せるんだろう。 皇太子や、自分の保護者。はては寡黙な騎士が、こんなのをつけた姿を想像して、一気に鳥肌が立つ。 気合を入れて考えると答えたが、本当にじっくり考えるべきかもしれない。 自分の気持ちと、自分の将来。二つの選択に悩む少女の肩に、魔導士の手が軽く置かれた。 「時間だ、そろそろ行くぜ」 「…うん」 藍色のマントが体を包み、再び魔導士の腕に包まれる。 腕の中の少女を見下ろして、おそらく誰にも見せたことの無い、優しい笑みを浮かべた魔導士が、静かに移動魔法の呪を紡ぐ。 小さな旋風と共に、二人の姿が、魔導士の部屋から掻き消えた。 そう、少女はじっくりと考えるべきだったのだ。 一ヶ月前に。 なぜなら、二人が奉納する魔導士の舞は、男女で踊った場合。必ず結ばれる、というジンクスがあるのだから。 芽衣がそれを知るのは、ずいぶん後になる。 |
FIN |
言い訳
電車の中で、キスで甘くなる口紅ってのを見たんです。
んで、突発的に書いたので、かなり文体がめちゃくちゃです。
(^◇^;)
うーん、コンセプトは、ゆれる乙女心と、男の狡さ…
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