その日は、夕刻から雲が厚くなりはじめ、夜半過ぎには嵐となった。
激しい風雨、そして何よりすさまじい雷が、王都を(おお)い尽くす嵐の夜。
こんな夜、君は必ず私の部屋へ来る…


重く垂れ込める雲の中を稲妻が駆け抜ける。
灯かりを消した部屋の中が、白く浮かび上がるほどの閃光(せんこう)
天の断罪の声かと思えるような、雷鳴が辺りを震わせる。
そして、私にしがみつき、君は悲鳴を上げる。

「きゃーーっ。お兄様、ご(らん)になりまして!?」
ああ、見ていたよ。
「すごい稲光でしたわ。まるでわたくしが撃たれてしまいそうでしたわ」
そうだね。でも大丈夫だよ。
「光もすごいですけれど、音も叩きつけられるようでしたわ。まだ胸がどきどきしていますわ」
確かに王宮が揺れるような音だったね。
だが、私は側にいるから、何も心配する事はない。
「はい、判っていますの」

にっこりと笑う横顔を、再び雷光が照らし出し、君は華やかに声をあげる。

「きゃあーっ今のはもっともっとすごかったですわ!」
そうだね、稲光が垂直だった。
光もずっと強い。
どこかに落ちたのかもしれないね。
「まあ、王都の中でないと良いですけれど」
心配しなくてもいいよ。
ほら、今鳴り出した。あれはだいぶ遠いな。
「よかったですわ。稲妻は綺麗ですけど、誰かが怪我をするのは嫌ですもの」
お前は優しいな…
「あら、王女として、民の幸せを思うのは、当然の事ですわ」
そうか。
「お兄様が教えてくださった事ですわ…」
 
雷鳴にかき消される(つぶや)きは、私の耳にだけやっと届く。
可愛いディアーナ。
君は雷光が閃く度に悲鳴をあげて、私の腕にすがり付く。
今夜の王都では、こんな風に女性達が、近しい者達と体を寄せ合う姿が続出しているに違いない。
雷光に(すく)み、雷鳴に(おび)え。稲妻の度に悲鳴が上がる…
だが、物事は正確に言うべきだろう。
私の横で君があげている声、これは悲鳴ではなく歓声だ。
君は(こと)のほか、嵐と雷を好むのだから。

「綺麗ですわね。まるで空がお祭りをしているみたいですわ」
それは面白いね。
どうしてそう思うんだい?
「だって、稲妻は花火のように綺麗ですし。雷鳴はまるでお祭りの楽団のようですわ」
なるほど。
「雨がざぁざぁ音を立てるのは、お祭りに出てきた人達の、お話しているざわめきのよう
ですわ」
そうだな、そんな風にも聞こえるな。
「賑やかで、綺麗で、嵐が来るとわくわくしますの」
そうなのか。
「お祭りはその日がこないとありませんけど、嵐は時々急に来るから、まるで、いきなり
のプレゼントのようで、わたくし大好きですの」
では、私達は特等席でお祭りを眺めているわけだ。
そう思うと、確かにわくわくしてくるね。
「はい、ですわ」


再び華やかに空が光り、君は負けじと華やかに笑う。
カーテンを開け放った窓辺に、向かい合わせにソファーを置いて、私達は並んで空を(なが)める。
光と音の饗宴(きょうえん)は、まだ(おとろ)える事は無いようだ。


「一晩中雷が鳴ってくれたら良いんですのに…」
どうしてだ?
「そうすれば、一晩中、お兄様と雷を見ていられますわ」
やれやれ、わがままなお姫様だな。
「だって、お兄様はいつも忙しくしていられるから、こんな時でもないと、ゆっくりおできになれないでしょう?」
言われてみると、そのとおりだな。
「それに、嵐の夜は、女官達も人の多いところに逃げていってしまいますもの」
普通、女性は雷を怖がるからね。
「はい、ですから、わたくしが、お兄様のところに来ても、誰も叱りませんのよ」
なかなか策略家(さくりゃくか)だな。
「もう、お兄様は、すぐそうやって子ども扱いなさるんですのね」


拗ねて横を向く君の頬に、どれほど手を伸ばして、こちらに向かせたいと思っているのか、君は知らない。
君がすがり付いてくる度に、私の心が嵐よりも乱れているのを、君は判らない。
愛しいディアーナ。
私が君を、一人の女性としてしか見ていないと知ったら、君はなんと言うのだろう?
私を恐れるか?
私を嫌うか?
私を断罪できるのは、君だけだ。
だが私は、兄の仮面を外す事は出来ない。
激しい嵐に感謝をしよう。
君を見る視線に浮かぶ、邪まな光を、閃光が切り裂いてくれる。
轟く雷鳴は、君に触れる事で高鳴る、胸の音をかき消してくれる。
私を見る君の瞳に、偽りの兄が映る。
偽りを受けながら返される微笑みが、私にとっての唯一の真実…
だから私は、兄としての言葉を(つづ)ろう。


お前は子供の頃、あんなに雷を怖がっていたのに、どうして今は好きなんだ?
「え?…それは…」
それは?
「…本当は、昔もそんなに雷が怖かったわけではありませんの…」
おやおや、あれはお芝居だったのか?
枕を抱えて、涙でくしゃくしゃになって…大したものだ、女優になれるぞ。
「だって、だって…」
だって?
「はじめはとても怖かったんですのよ。でも、泣いていたら、何時もお兄様が来て下さって、 朝まで(なぐさ)めて下さいましたわ」
ああ、お前の鳴き声は、雷よりよく響いたからね。
「ええ、大きな声を出せば、雷は聞こえないし、お兄様は来てくれるし、一石二鳥でしたわ」
ははは、そうか。
「だから、そのうち、嵐が楽しくなってきましたの。お兄様が、稲妻が綺麗だと(おっしゃ)ったから、あの光を見るのが怖くなくなりましたの」
ディアーナ…
「お兄様が王都に行かれて、北の離宮で独りぼっちになってからは、嵐が来る(たび)に、お兄様もあの光を見ていると思って、あの音を聞いていると思って。雷が好きになりましたの」


君という暴風雨が、兄の仮面を引き()がす。
仮面の無い()き出しの私は、愛しい君を抱きしめる。
何の戸惑いも無く。
何の迷いも浮かべずに。
愛しいけれど恋人ではない。
決して恋を明かせない。愛する女性を掻き抱く。
だが、私に再び、兄の仮面を被せるのも君なのだ。


「…お兄様…?」
……ああ…すまない。驚いたか?
「はい…すこし…」
お前があんまり可愛らしい事を言うので、嬉しくなったのだよ…
「まあ、また子供扱いですのね」
子供には違いないだろう?
「わたくし、来年からは社交界にも出られますのに」
だが、まだ子供だ。
「意地悪…」
ああ、私は意地悪だよ。
「…お兄様にだけは、レディとして見て…」

かすかな呟きが、雷鳴にかき消される。
私を見詰める君の瞳に浮かぶ光は、何を求めているのだろう?
頼むから、このまま子ども扱いをさせてくれ。
心の奥に(くすぶ)る、邪まな望みを増長させるのは止めてくれ。
たとえ私の望みが君の心に届いたとしても。
この想いを叶えさせてはならないのだから…

兄の仮面は薄くて(もろ)い。
だが伸ばされた腕に、閃光と(とどろ)きが同時に放たれる。
閃光が全てを焼き尽くす。

「……へ…部屋が燃えたかと思いましたわ!」
ああ…今のは、庭に落ちたようだ…
「お庭に?まあ、皆は大丈夫でしょうか?」
判らない…どうやら知らせが来たようだ。
待っていなさい。
「はい、ですわ。誰も怪我をしていないといいのですけど」


小物の持ってきた報告は、庭の大木に雷が落ちたという事。
幸い王宮からも離れていて、火事も無い。
報告を受けながら苦笑が()れる。
これは神の警告か?
道を外す事無かれ。
強く(いまし)められた思いがする。


庭の(もみ)の木に落雷したそうだよ。
誰も怪我は無い、安心するといい。
「良かったですわ」
そうそう、あの樅の木の下は、シオンの花壇だよ。
「まあ、では大変な事になっているのでしょうね?」
当分あいつは、花壇にかかりきりになるだろうな…
やれやれ、また仕事が遅れる…
「もう飛んでいっているかもしれませんわね、可哀想に」
日ごろの行いだろう。
天罰覿面(てんばつてきめん)とはこの事だな。
「あらあら、本当のことを言ってしまったら、余計可哀想ですわ」
そうだな。
「それにしても、目の前に落ちた雷は、初めてですわ。すごかったですわね…」


再び雷に会話は戻る。
当たり前で何気ない言葉のやり取りに、救われた気持ちになる。
君と、何時まで嵐を楽しむ事ができるのだろう?
願わくば、この時が続かん事を…


いつもの会話。
いつものやり取り。
かくして日々は過ぎていく。


END