一抹の不安


「あれは……?」
 書庫から出た時、丁度通り過ぎた背中を見つけた。
 ふわふわ揺れる薄紅の髪。優雅な足取り。華奢な背中は僅かに俯き、両手に抱えたものを覗き込んでいるようだ。
 いったい、何を見ているのか。
 一瞬見えたのは、ページをめくる指。
――本?
 信じられない事だが。あの姫君は本を眺めながら歩いている。
「……」
 正直な感想を言えば、
『うそだろ?』
である。
 俺の保護する少女が、神話文字の書き綴られた書物を持っていたのを、見た時以上の衝撃だ。
 まさか、こんな光景を目にするなんて……
 もし、常の口癖『心を入れ替えて、がんばりますわ』なんて世迷い事を、本当に実行し始めたのか? 一瞬。泣きながら小躍りする兄の姿が脳裏を掠める。
 あの、姫君が。本を読みながら歩くなんて。
 しかし待て。本とは言えど、色々ある。
 もしかしたら、絵物語や伝説の騎士の絵姿を集めてある画集かもしれない。
 それなら納得はいく。
 ……だが。
 それはそれで、一抹の不安がよぎる。
 嫌な経験がある……本当に、あれには参った。
 本を抱えて書庫にやってきたかと思えば、いきなり『虹を作れ』ときた。
 なんでも、俺が嫌味で渡した絵本を、本当に読んだらしい。
 絵本で勉強する王女がどこにいる、なんて文句を言っていたくせにな。
 読んでみればまあまあ面白かったらしいが、その話の最後に魔導士が虹を作って、主人公の姫君を祝福するらしい。……その虹を作れ。と、彼のお方はのたまったのだ。
 もちろん。『姫が雨を降らせてくれれば、すぐにでも出しますよ』と言い返してやったが、その後しばらく、うるさく付きまとわれた。
 メイから聞いたらしいシオン様にはからかわれるし、シルフィスにまで、『魔法で虹って作れないんですか?』と聞かれる始末だ。
 まったく……小さな虹くらい庭に水を撒いても作れるが、王都全体の空を覆うような虹などそうそう作れるはずが無い。
 そんな大掛かりな魔法を、姫の気まぐれの為に使うくらいなら、少しでも研究を進めるほうがマシと言うものだ。
 本当に迷惑だ。
 
 もしや……またあんな事が起きるのだろうか。
 もう一度、楽しげに読みふけりながら歩き去る背中を眺めた。
 不安が胸に広がる……
 
 fin

そらたさんの「天空回廊」にて、素敵イラストへ押し付けてしまいましたSSです。
イラストは素敵なキルディア風味なのですが、修行不足でキルディアになりませんでした。すみません。
姫にびびりまくってるキールです(笑
情けなっ。

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