Child companion wolf

                                                         

月は十六夜(いざよい)
 月光は街を蒼く浮き上がらせ、総ては眠りの中に沈んでいる。
 石畳に長く影が落ちるのは、月が天頂より傾き始めている証拠。それでも夜明けはまだ遠い。
 クラインの王都ならば、こんな刻限でも街路灯が灯され、自警団の夜回りが、盗賊や不審火を見張って街を警邏(けいら)している。
 夜道を幼い子供が走っていれば、誰何(すいか)を受けて保護されるはずである。
 だが、地方貴族が治める、村に毛が生えた程度のこの街では、そんな治安は望めない。
 家々は硬く戸締りを掛け、我が身と財産を護るだけで精一杯。野党の(たぐい)徘徊(はいかい)していない分、平和なのだと言えなくもないが、月下に展開している出来事は、およそ平和な夜とは言えないようだ。
 
 彼は必死で走っていた。
 何故ならば、三間(さんけん)(4-5m)ほど後から、十数人の男達が、異様な殺気を(みなぎ)らせて追いかけてくるからである。
 幼い少年だ、むしろ幼児と言った方が良いだろう。
 小さな体を(まり)のように弾ませ、追いすがる追っ手を懸命に引き離そうとしている。
 だが如何せん、幼児の歩幅は短く、大人の一歩に対して、数歩を費やさねばならない。追っ手達との距離は、いっかな広がりはしない。
 いやむしろ、この距離を保っているだけ、この少年の俊敏(しゅんびん)さを()めるべきだろう。
 しかし、こんな時間、街の中で、何故少年は追われているのだろうか?
 身なりは悪くない。きちんとしたシャツに上着、それに子供らしい短袴。仕立ても生地も良さそうだ。しかし、総て木綿で、貴族の子弟のように殊更極上な衣服であるとはいえない。
 靴だけはかなり質の良い半長靴(はんちょうか)で、おそらく子供の足に合わせて作られたに違いなく、少年をしっかり支えてくれていた。
 容姿は、と見れば、その最大の特徴は、きりりと高く結われた薄紅の髪である。
 子馬の尻尾のように背中で揺れる髪の束に、男達の手が何度か掴み取ろうと伸ばされた。髪は鼬宜(いたちよろ)しく、その度にするりと逃げ出して前方へと去ってしまうのだが、お陰で余計、追っ手の捕獲意欲を煽り立てていた。
 年の頃はまだ5-6歳というあたりだろう。
 ふっくらとした頬、綺麗に通った鼻筋、荒い息を吐き出す唇は、比喩ではなく花弁を思わせ、強い光を宿した、こぼれんばかりに大きな琥珀の瞳が、月明かりに解ける町並みを懸命に見据えている。
 年の割には、かなり眉目秀麗(びもくしゅうれい)な少年である。
 将来が楽しみなような、このまま時を止めて閉じ込めてしまいたいような…
 好事家(こうずか)ならば、大金を積むに違いない。
 しかし、背後の男達は、どうも夜盗の人攫(ひとさら)いと言うわけではなさそうだ。
 なぜなら、彼らの中には、明らかに貴族に仕えているらしい押し着せを纏った者も含まれているからである。
 ならば、暇を持て余した貴族が、怪しい趣味か宗教にでも嵌まったか?
 いずれにせよ、少年が必死で逃げるのは当然である。
 

 いい加減じれた男が、追いかけっこを終わりにしようと足を速める。
 後ろの歩調が変わった事を、敏感に察知した少年は、不意に方向を変え、軒筋に飛び込んだ。
「ちっ!」
「またやりやがった!」
 口々に舌打ちや無念の声が上がる。
 先刻から、少年の息が上がると、小休止のように家の間に飛び込み、男達の手から逃れてしまうのだ。
「余所者の癖に、何でこんなに、裏路地に詳しいんだ?あの餓鬼」
 忌々しげに一人が吐き捨てる。
「地図でも持ってるのか?」
「あの歳で読めるかよ!?」
 そう、少年はこの街の子供ではなかった。
 2-3日前から、とある宿に宿泊している、王都からの旅行者である。
 父親らしい若い男は、4-5日子供を頼むと言い置いて姿を(くら)ませていた。
 宿屋としては、このまま置き去りにされるのではないか、という懸念が無きにしも非ずだったが、荷物も有り、前金は相場の二倍ははずまれていたから、とりあえず預かっていたと言う形であったらしい。
 しかし、見知らぬ土地に一人で放り出されながら、この少年は泣きもせず、持ち前の素直さと愛想の良さで、瞬くうちに宿屋の看板息子になりきっていた。
 特に近所のご婦人方への受けが良く、天使の如き笑顔に魅了され、宿屋が経営する食堂が、日中異様に繁盛したのだから、あながち損な預かり物とは言えなかった筈である。
 そして、この、妙に置き去りにされ慣れた子供は、生来の特技らしい、場に馴染むという技を遺憾(いかん)なく発揮して、街の子供達の輪にもすんなり入り込んでいた。
 自分よりも一回り大きな子供達にくっついて、街のあらゆる場所へ入り込む。悪童達というものは、裏路地のオーソリティである。『見込みのある奴』などと気に入られて走り回っていた少年は、抜け目無く土地鑑(とちかん)を頭に叩き込んでいた。
 それが今、彼の身を護っている。
 この歳の子供とは思えないような行動力だ。
 一体この子供は、どんな素性の少年なのだろう。
 姿を消している父親とは何者か?
 少なくとも、追いかけている男達の頭目と思しき、お仕着せの男は知っているらしい。
「とにかく、あの餓鬼を早く捕まえるんだ、でないと、ろくな事にならねぇぞ」
 幾分焦りを滲ませて、仲間達を叱咤(しった)する。
 悪童の特に性質の悪い連中のなれの果てのような、チンピラ然とした男達は、当惑と苛立ちを同時に浮かべつつ頷いた。
 

 商家の裏手にある、積み上げられた樽の間に潜り込み、少年は荒い息を必死で整えていた。
 膝や手が震える。
 いくら俊敏で機転が利くといっても、やはり幼い子供である。もう体力の限界が近づいていた。
 あの男達は、夜半、宿が寝静まった頃に、いきなり押しかけてきた。この街の領主の名を出し、不信な者が居るから調べると言って扉を開けさせた。
 そして、前から調べていたらしく、少年の部屋へ真っ直ぐ上がりこんだのだが、実のところ、少年は宿屋の女将に懐いて、奥にある家人の寝室に眠っていたのだ。
 そして、男達が家捜しをはじめた頃、仲良くなっていた宿の娘が、そっと裏口から逃がしてくれた。
 しかし不運にも、路地を出たところで見つかってしまい、この四半時、月夜の追いかけっこが続いている。
 小さい手が膝を抱え込む。
 形の良い顎をちょこんと膝頭に乗せて、少年は小さく溜め息を吐いた。
「ちち…」
 心細さに、我知らず父を呼ぶ。
 しかし、そんな呟きに答えたのは、荒々しく駆け込んできた足音と、この裏庭に積んである、樽や木箱を突き崩す騒音であった。
「この辺りに隠れているはずだ」
「出口は押えておけ!」
「どこだ、小僧!!」
 口々に怒鳴りながら、少年が潜んだ、ささやかな砦を打ち崩す。
 彼は細い喉をこくんと動かした。このままでは確実に見つかってしまう。
 じりじりと膝でいざって後ずさるが、その背は隣家と隔てる塀にぶつかった。
 もうこれまでか?男達の足音がすぐ近くでする。
 少年は身を硬くした。


「…おい…おいってば…」
 幽かな囁きが背後から遣される。
「!?」
 咄嗟に振り向くと、塀の下にある隙間から、青い双眸が覗いている。
「やっぱお前か。こっちこいよ、塀の下潜れるから」
 声に従って塀を見れば、丁度子供一人が潜れるほど土が掘られている。少年は躊躇なく飛び込んだ。
 潜り抜けると、少年より幾分大きな手が、立ち上がるのを助けてくれる。
「こっちだ…」
 大柄な赤毛の少年が顎をしゃくり、礼を言う暇もなく、救い主と共に、開いていた扉に駆け込む。
 音がしないように戸を閉めたのと同時に、塀の向こうで派手に樽が壊される音が響いた。
「餓鬼いねぇぞ!?」
「まさか、こっちには逃げてねぇ」
「どこ行きやがった?」
 押し殺した声が聞こえる。あんな派手な音を立てておいて、今さら声を押し殺しても始まらないだろうに、それでも小さな声にする辺り、無頼漢には無頼漢の、何か約束事でもあるらしい。
 もっとも、そんな些細な突っ込みを入れるものは、この場には居なかったが…
 やがて抜け穴が発見されたらしく、『ここだ』とか、『向こうだ』等と言う声と共に、塀の向こうから男達が騒々しく走り去る。
 二人の子供は、やっと大きく息をついた。
「ありがとう、にぃちゃん。たすけてくれて」
 少年がはじめてにっこりと笑った。
 赤毛の少年は、年下の友達の素直な礼に、照れ臭そうに頭を掻いた。
「いいって、友達じゃんか」
 彼は、昨日友達になったばかりの、悪童頭、つまりは餓鬼大将である。
 小さいながらも、臆せずついてくる少年を気に入り、『見込みがあるから弟分にしてやる』と言って、連れ回してくれた。
 言うなれば、今助けられる以前から、彼のお陰で捕まらずに済んでいるのである。
「でも、なんでここにいるの?」
 少年の問いに、悪童頭は肩を竦めた。
「ここ、俺ん家。なんか、騒がしいからさ、おっ母ぁに見て来いって言われたんだよ、今夜は親父が隣村に行ってて、男、俺だけだから」
「そうなんだ」
「ああ、びっくりしたぜ。あの愚連隊(ぐれんたい)が隣で暴れてるし、樽の間にはお前が居るし、一体なにやらかしたんだ?」
 問い返されて、肉の薄い肩がかっくりと下がる。
「ぼく…わかんない…」
「そっか、あいつら街のダニなんだぜ。御領主様の弟の取り巻き達で、ろくでもない事ばっかりするんだ」
 悪童頭の言葉に、少年ははっと顔を上げた。
「ごりょうしゅさま?」
「ああ、なんかあるのか?」
「わかんないけど…たぶん、ちちのせいじゃないかな?」
 考えながら話す少年に、赤毛の少年が首をかしげる。
「お前の親父…泥棒でもしたのか?」
 あんまりな問いに、薄紅の頭を勢い良く横に振る。
「だよな、あいつら自警団気取ってやがるけど、あいつらの方がよっぽど泥棒だからな。きっとお前の親父は良い奴だ、うん」
 一人で納得して頷く友達に、父親を肯定してもらって嬉しかったのだろう、少年が屈託のない笑顔を向ける。
「うん!」
 元気良く頷いた時、外が俄かに騒がしくなった。
 どうやら男達がこちら側に来たらしい。
 とっさに身を伏せて息を殺す少年達の頭上を、粗野な声と足音が通り過ぎる。捜索の手はいまだ緩んではいないようである。
「おい、どうする?あいつら諦めそうにねぇぞ?」
「うん…」
「なア、お前の親父、どこに居るんだよ?」
 小さな頭は、力なく左右に揺れる。
「わかんない…やどやでまってろって、いわれてたから…」
 舌っ足らずな声には、流石(さすが)に元気がなくなっていた。
 悪童頭は溜め息をついた。
「そっか〜。んじゃあ、朝まで家に居るか?明るくなったら、あいつらも諦めるだろう?」
 有りがたい提案である。
 少年が頷きかけた時、乱暴に何かが叩かれる音が聞こえた。
 あの男達が、大声で怒鳴るのが聞こえる。
「御領主様の命令である!家人は居らんか!?」
 身を竦ませた少年たちは、あの連中が少年を探すために、隣家の家捜しをはじめたのを察知した。
「げ〜。隣ん家だ…ここにも来るかな?」
「…ぼく、いくよ。たすけてもらったのに、ぼくのせいでひどいめにあうよ」
 心配する少年に、赤毛の悪童頭は渋い表情を崩さない。
「んなこと言ったって、お前、どこに行くんだよ?」
「あのね、ちちと、このまちにきたとき。なにかあったらここにこいっていっていたばしょがあるの。そこにいけばなんとかなるよ」
 悪童頭も頷いた。
「判った、どこだ?連れてってやる」
 あくまでも面倒見の良い兄貴分は、即座に同行を申し出てくれる。しかし少年は首を振った。
「だめだよ。にぃちゃんは、ここでたったひとりのおとこなんだろう?にぃちゃんのかーちゃんまもらなきゃ。ちちが、おとこはおんなをまもるもんだっていってるもん。ぼくはひとりでいけるよ」
 一人前な言いっぷりである。
 年端のいかなすぎる友達を心配しながら、悪童頭は渋々少年の目的地と、そこに辿り着ける抜け道を教えてくれる。
「本当に大丈夫だな?」
 念を押す赤毛の少年に、薄紅の髪が縦に振られる。
 怒号と、抗議する隣家の家人や、赤ん坊の泣き声が混じる中、少年はそっと、闇の中に駆け出した。


 少年の目的地は、小規模な船着場の周りに、商家の倉が立ち並ぶ川縁である。 
 まあ、倉が立ち並ぶと言っても、小さな街である、四・五軒の倉があるだけなのだが、とにもかくにも、流通物資が搬入される、町の玄関口の一つといえるだろう。
 兄貴分のお陰でどうにか身を隠したまま辿(たど)り着けた少年であったが、最後の障壁に突き当たっていた。
 なぜなら、倉の場所と、今潜んでいる場所の間には、広い道が開けているからである。
 しかも、あの連中の仲間と思しき見張りが、辻の側に立っていた。
 少年が相手にしている愚連隊とやらは、かなり人数に富んでいるようだ。
 後方の街の中心辺りからは、相変わらず怒声が響いてくる。
 連中は、既に形振り構わず少年を探しはじめているようだ。あの悪童頭の家が気になったが、彼が居るのだから大丈夫だと、根拠もなく自分に言い聞かせる。
 彼は生唾を飲み込むと、見張りの動きを慎重に見詰める。
 見張りはゆっくりと辻の間を移動する。
 男が辻に入り込むタイミングを計って、少年は仔猫宜しく大通りに走り出た。
 しかし運は今夜の少年にはあまり味方してくれないようである。
 必死で走ったものの、僅かに足が遅れ、走りこむ影を見られてしまった。
 鋭い指笛が辺りに響く。
 少年は、大慌てで約束の場所に走りこんだ。
「ちち!」
 一声叫ぶ。
 だが、答えるものは居ない。
「ちち…?」
 不安げに呟く少年は、倉の壁に書かれた落書きに気がついた。
 奇妙な模様がかかれている。
 いや、普通の人が見れば、これはただの殴り書きである。絵でもない、文様のような模様のような落書き。
 しかし、少年にはそれは文字として読めた。
 何故なら、彼が習っているもう一つの言語で書かれていたからだ
 彼の父親からのメッセージである。
 比較的簡単な文字で書かれた暗号を、近づいてくる騒音に焦りながら読み取って、少年はがっくりと肩を落とした。
「…こんなことだろうとおもった…」
 何が書かれていたというのか、少なくとも、少年にとっては、ありがたくないメッセージであったらしい。
 

「どこだ!?小僧!」
「もう逃がさねぇぞ!!」
 男達の怒号がすぐ近くで聞こえた。
 咄嗟に側に立てかけられた木材の間に飛び込む。
 抜け出られるような穴はないかと急いで辺りを見回し、程好く崩れた塀の隙間を発見する。彼はそこに小さな体をねじ込んだ。
 塀の向こうは川岸であった。かろうじて少年が一人歩ける位の足がかりがある。
 背後で木材が崩された。
 ビクンと飛び上がり、左右を見回すと、船着場を目指して、少年は走り出した。
 穴を見つけたらしい男が、どうにか首だけ突き出して、彼の行く先を仲間に教えるのが聞こえる。
 行く先を見られても構わない。とにかく広い場所に行かなくては…

 地の利を生かした追いかけっこならばどうにか互角でも、やはり少年のスピードは大人には及ばない。
 走り出た船着場には、既に数人の男達が待ち構えていた。
 咄嗟に側に水揚げされていた船の陰に飛び込んだが、不意に襟首を持ち上げられて、小さな体が地から離れる。
「捕まえた!」
「でかした!」
 頭上で喚声を上げる男と、答える声。
 だが、男の得意顔は、驚愕と苦悶に歪む。
「ぐえっ!?」
 ヒキガエルを踏み潰したような声が漏れ、男の手が緩む。見事に股間を蹴り上げた少年は、その隙を逃さず、腕を振り払った。
 (うずくま)る男から離れ、肩で息をしながら、川べりに立ち竦む。
 既に少年の周りは、蹲に囲まれていた。
 お仕着せの男が、嫌な笑みを浮かべて進み出る。
「さぁ坊主。もう逃げられねぇぞ。大人しく付いて来きな。親父に会いたいだろう?会わせてやるぜ」
 好感は持てそうにない下卑た声に、少年は激しく首を振る。
「やだい!わるもの!」
 可愛らしい悪態に、小莫迦にしたような笑いが漏れた。
「餓鬼が…大人に対しての礼儀を教えてやる…」
 やっと苦痛から立ち直った、股間を蹴られた男が、怒りにどす黒く顔を染めて、木刀を振りかざす。
「今は殺すなよ」
 お仕着せの男の警告に、にやりと口を歪ませる。
片輪(かたわ)にするだけさ。足を折るだけなら、後で売るのにも支障ねぇだろ?」
 恐ろしく外道な話しに、残りの男達がそれもそうだと笑う。この連中は既に人間を放棄しているらしい。
 絶体絶命の局面を迎えて、泣き出す筈の少年は、男達の期待を裏切って、落ち着いた声で高々と何やら詠唱(えいしょう)し始めた。
「たいきにやどるせいれいよ、われはいかりをむねにひめしもの。なんじがからだをかてにして、いまこそわがてにぐげんせよ、いかりのあめをいまふらせん!ふぁいあーれいん!」
「なにぃ!?」
 舌っ足らずでありながら、しっかりと韻を踏んだ呪文は、頭上で組み合わせた腕が振り下ろされると同時に完了し、無数の火の粉が降り注ぐ。
 ファイアーレイン。
 上級魔導士でなければ習得しているはずの無い高等攻撃魔法。
 誰だって、こんな子供が繰り出すとは考えもしない反撃である。
 火の粉は船着場全域に降り注ぎ、男の服や髪に付着して燃え上がる。少年が広い場所を目指したのは、これをする為だったのだ。
 己の炎を消すのに大童(おおわらわ)となった男達の間を、少年が駆け抜ける。
「逃げたぞ!」
 誰かが叫ぶ。しかし、今はそれどころではない。体を叩き、地に転がり、川に飛び込み。あちこちで苦痛の絶叫が響き渡る。
 その間に少年は、再び倉の間に駆け込んだ。


「あの餓鬼…もう許さねぇ…」
 焦げ煤け、あるいはずぶ濡れとなり、火傷の水脹れや赤剥けとなった男達が、満遍(まんべん)なく怒りに身を振るわせる。
「ぶち殺してやる!」
 真剣を振り回し一人が叫ぶ。
 残りの連中も、口々に、如何に残忍に殺すか口走る。
 少年の魔力が足りなかったのか、はたまた手加減したのか、みな比較的軽傷で済んでいるのだが、そんな幸運に感謝する者は居ない。
「また魔法出しやがったらどうする?」
 一人が少し怯えた声を出す。だがもう一人がせせら笑った。
「餓鬼の体力で何度もあんなの出せるかよ。それに、チビが呪文を言う前に、ぶち殺しゃぁ良いじゃねぇか」
 魔法には体力が不可欠である。魔力の持久力はそこで決まるのだ。いくら魔力があったとしても、かなり疲労しているであろう少年が、そう何度も高等魔法を出せるはずが無い。
 怯えた男もそれで納得した。
「そうだな」
「それに、あの餓鬼が飛び込んだ路地。行き止まりだぜ」
 方向を確認していた男が頷く。
「おあつらえ向きじゃねぇか」
 苦労が報われる時を、残忍な笑いで確信して、数人の男が無造作に路地へと踏み込む。
「出て来やがれ小僧!もう逃げられねぇぞ」
 剣を振りかざし、路地の奥へ走りこんだ男が、低い呻き声を上げて、よろよろと後ずさる。
「ぐぅ…!」
 同時に入った男達も、次々と苦悶の声を漏らして、どうと後ろざまに倒れこんだ。
「!?」
「どうした!?」
 よろける男を支えた仲間が、ぬるりと生暖かい湿り気に指を見る。
 その手は真っ赤に染まっていた。
「なんだ…?」
 意外な成り行きに目を見張る男の前に、倉の影から黒い影がゆらりと現れた。
 闇を従えるかのような威圧感。
「誰だ!?」
 巨躯ではないが長身の影は、月光に、血で染まった刃を煌かせる。
「我ら親子…冥府魔道(めいふまどう)に生きる者…」
 幽かに擦れた深みのある声音が、笑いを含んで流れ出た。
「俺の(せがれ)に、何か用か?」
 男達は、突然の乱入者に目を奪われていた。
 片手に少年を抱き上げ、もう片方には血刀を引っ提げた男は、少年と同じように高く結い上げた蒼い髪を、面白そうに揺らす。
「親の許しも得ねぇで、随分可愛がってくれたみてぇだな?」
 声とは逆に、一片の愉悦の色も浮かんでいない琥珀の瞳が、じろりと男たちを見渡した。
 端正な面に、残忍な笑みが浮かぶ。
「礼するぜ、受け取りな」
 底光りする視線に威嚇され、男達は僅かに後退する。
 お仕着せの男が、呪縛を受けたかのように呟いた。
「シオン…カイナス…」
 恐れていた者が、今目の前にいた。
 一気に全員が硬直する。
 クライン王宮筆頭魔導士。
 皇太子の懐刀として、その切れ者振りは特に有名である。
 たとえ顔を知らなくても、その名を知らぬ者は、この国には居ないだろう。
 緊迫した空気に耐え切れない男が、剣を振り上げて突進した。
「さげんなこの野郎!」
 かなり腕に憶えのある男なのだろう、その斬戟(ざんげき)は威力と力を持っていたが、如何(いかん)せん、頭の方はお留守らしく、猪突猛進で飛び込んだ脇腹に、軽く交わした男の(つか)がめり込んだ。
「ぐげっ!」
 屈みこむ首筋に、更に柄が打ち下ろされる。男は声も無く悶絶した。
 昏倒する仲間の姿を目の当たりにして、男達に更に動揺が走る。
「俺が此処に来たってことは、お前らの大将がどうなったか判るよな?領主の弟は、兄貴を軟禁していた罪で幽閉された。お前ら取り巻きは、もうただのゴミだ。観念しちまいな、もっとも…楽に捕まえてやる気はねぇけどな…」
 倒れた男を更に足蹴(あしげ)にして、男の足を踏み(しだ)く。ごきりと響いた鈍い音は、骨が砕けた事を教えていた。
 気絶した男への容赦の無い仕打ちに、残りの男は生唾を飲み込んだ。
 月下に浮かび上がる魔導士の姿は、常人の魔法への畏怖(いふ)も手伝って、まさに得体の知れぬ幽鬼を思わせる。
 だが、魔導士の言葉が事実なら、もはや逃れる術は無い。この男を殺す以外には…
 それぞれが我が身可愛さに腹を決めたようだ。
 お仕着せの男は声を荒げで(あお)り立てた。
「こっ殺しちまえ!魔導士だ、全員で掛かればぶっ殺せるぞ!」
「おう!」
「呪文使わすな!」
 魔法は呪文の詠唱によって発動する。呪文が組みあがる前に攻撃をすれば、当然魔導士は無力である。
 頼みは人数だけだが、それは十二分にある。
 ここを天王山(てんのうざん)と見極めるような、大袈裟(おおげさ)な事を考えたかは知らないが、男達にとってまさに正念場であった。
 親子の周りを一気に取り囲み、前後左右からてんでに打ちかかる。
 しかし悲しいかな、彼らには頭が無い。
 喧嘩殺法には、作戦も戦略もまったく存在していなかった。
「莫迦かお前ら」
 小さく吐き捨て、手にした剣を石畳に突き立てると、それを足場にして魔導士の体が宙に舞う。
 不意に消失した目標に、咄嗟の対応が出来ずに、男達は互いの剣を体に受けてのた打ち回った。
 子供を抱えたまま、浮遊魔法を使って輪の外側まで飛び抜けた魔導士は、自滅した男達へ朗々とした詠唱を浴びせる。
「風よ、刃と成りて我が意に応えよ。逆巻く力の洗礼を!!」
 旋風が巻き起こり、鎌鼬(かまいたち)が刀傷にうめく愚連隊を更に切り刻む。
 鮮血が迸り、深くは無いが全身に口を開けた傷により、ほとんどの者が動く事さえままならない。
「楽に捕まえねぇっつーたろうが。俺の倅を可愛がってくれたんだからな、たっぷり礼を受け取りな」
 嘲け笑う魔導士は、仲間を呷るだけで、ちゃっかり逃げようとしていたお仕着せの男を見逃しはしなかった。
「満ち満ちし怒りの大気よ、今こそ我手に集まりて刃となせ」
 縛めでは無く、風の刃が男の足を切り払う。
「グギャー!」
 切り裂かれた脛を押えて、男は悶絶した。
 のたうつ男に、魔導士が歩み寄った。
 そのまま足が男の喉を踏みつける。
「礼は返したぜ。領主の地位簒奪(ちいさんだつ)、皇太子殿下への謀反(むほん)。総て露見した。諦めるんだな。まあ、あの人の良いご領主さんだ、治療位はしてもらえるだろうさ。お前の足は、もう使い物にならねぇけどな」
 激痛に泡を吹く男に、この最後通告が伝わったかは知らないが、魔導士は、男の頭を一蹴りして、子供を抱え直して歩き出した。


 筆頭魔導士がこの街に来た訳は、彼の主君であり親友でもある、皇太子セイリオス・アル・サークリッドの身辺に、不穏な影がさした為であった。
 皇太子の最大の秘密である、王族の血を持たぬ者であるという事実を探る動きがあったのだ。
 筆頭魔導士は、すぐにその動きを探らせたが、そこで浮かび上がってきたのが、この街の領主であった。
 事件の性格上、この任務は筆頭魔導士が単独で当たる外無く、彼は事態収拾に乗り出したのである。
 そして、内情を探リ、病床の領主とその家族が、野心家の弟によって半ば軟禁され、弟は他の不穏分子の貴族と内通して、己が地位を確固たる物にしようとしていたことを突き止めた。
 不穏分子のリストと、彼等が大した成果を掴んでいないのも確認できた。
 後は簡単である。
 隙を見て領主を助け出し、弟の地位簒奪計画を暴く。知らぬうちに謀反人にされかけていた領主は、直ちに不肖(ふしょう)の弟を幽閉した。
 本来なら、一族連座で家名取り潰しなのだが、陰謀の芽が事前に摘み取られた事と、筆頭魔導士が、あくまでも隠密裏にすませていた為に、皇太子の慈悲により首謀者の幽閉で収まった。
 しかし、唯一の油断は、筆頭魔導士の動きを、おぼろげながら察知した弟の側近―あのお仕着せの男が―奇妙な余所者の親子に目をつけ、魔導士の牽制のために、少年を人質に取ろうとした事であった。
 お陰で少年は、月夜の追いかけっこで街中を走らされたのである。


 派手な悲鳴に、近隣の人家に灯がともる。ざわざわとし始めた街の石畳に、領主の館から出て来たと思える、馬蹄(ばてい)の音が響いてくる。
「お、警備兵が、やっと重い腰を上げたみたいだな」
 業と警備兵から姿を隠して、男達が捕らわれる様を見届ける。自分の身分で事を大袈裟にしないための配慮である。
 あらかたの者が連行されたのを確認すると、魔導士は闇の中へと歩き出した。
 しっかりとしがみ付く息子の背中を撫ぜながら、魔導士は初めて本当に楽しげな声を出す。
「これで一件落着だぜ」
 父の言葉に、少年が顔を上げる。
「ちち、おしごとおわったの?」
 少年が成長した姿そのものの父は、にっこりと息子に笑いかけた。
「ああ、ぜーんぶ終わったぜ。一人にして悪かったな」
 同じようににっこりと笑い返す少年が、フルフルと首を振る。
「ううん、ともだちもいっぱいできたから、だいじょうぶだったよ」
 逞しい我が子の答えに、魔導士は明るい笑い声を上げた。
「そ〜かそ〜か。流石は俺の倅だぜ」
 しかし少年は、むうっと眉を寄せる。
「でもちち。あれなんだよ」
「あれ?」
「あのでんごん。『どこでもいいから、まほうをぶっぱなせ』っての。れんらくできるまほうじんじゃなかったの?」
 そう、少年は魔方陣で父と連絡ができると聞かされていたのだ。しかしあったのはメッセージのみ。少なからず、父の愛情を疑ってしまう局面であった。
「んあ?『必ず行く』っても書いといただろうが。お前の魔法の波動を辿って、移動魔法かけた方が確実だって、後で気がついたんだよ。それにしても、もうちっと、ちっこい魔法でも良かったんだぜ」
 誤魔化し無く、しっかりと説明してくれる父親に、それでも口を尖らせて、息子が睨みつける。
「ぼく、ふぁいあーれいんしかつかえないもん…」
 父譲りの異常に高い魔法力は、憶えたてのファイアーレイン以外は、魔法の暴走に終始してしまう。風の鎖を使おうとして、王都に竜巻を巻き起こしたほどなのを、魔導士は思い出した。
「悪かったよ、勝手に変えて。な、謝る。すまん」
 下手に出る父に、少年は再びしがみ付いた。
「いっしょにねてくれるんなら、ゆるしたげる…やっぱりさみしかったよぉ…」
 気が緩んだのか、半ばべそをかき始めた我が子を抱きしめて、魔導士は宿への道を歩きはじめた。
 冥府魔道に生きているらしい親子の姿を、月明かりが照らしていた。

おまけ

「ねえ、ちち。めいふまどうってなに?」
 息子の問いかけに、魔導士は肩を竦めた。
「ああいうときにはそう言うお約束なんだとさ。皇太子妃殿下が言ってたぜ」
「メイおばちゃん?」
「おう」
 途端に少年が俯いた。
「ねぇちち…ひめさんいつかえってくるの?」
 痛いところを突かれて、魔導士が小さくうめく。
「う…いや、あのな……」
 慌てる父に、更なる追い討ちが掛かった。
「ひめさんずっと、おうきゅうからかえらないの?」
「あ〜あのなあ……気が済んだら帰ってくるって」
 父の誤魔化しに、息子はいじけた目を向けた。
「ちちが、ひめさんいじめるから、ひめさんじっかにかえっちゃったんだ……」
 誰が教えやがったそんな台詞と、腹の中で突っ込みながら、魔導士は何とか息子をなだめようと言葉を探した。
「苛めてね〜ぞ。姫さんがあんまり可愛いから、つい……な」
 しかし息子のジト目は戻らない
「ちち、ちゃんとひめさんにあやまってよ…」
 言い募る息子に、ついに魔導士は折れたようである。
「判った判った、王都に戻ったら、謝りに行くって」
「うん、やくそくだよ」
「ああ」
 筆頭魔導士が、降嫁した第二王女を溺愛しているのは周知の事。
 一粒種すら「母」と呼ばないほど未だに可憐な奥方なのだが、溺愛が昂じて束縛し、挙句にからかいや悪戯の度が過ぎる。
 その度に、ディアーナ姫は「実家」である王宮の、今は姉妹となった親友、メイ・サークリッドの元に駆け込むのである。
 これで何度目の家出である事か…
 母の恋しい息子が、父を叱責するのも無理からぬ事。
 五歳の子供に言い込められて、既に立場の無い筆頭魔導士であった。
 どうやらこの親子、冥府魔道には、生きていないようである。

終劇


メインストーリー群にある子連れ狼のシオディアバージョン。
実は、とある話のネタフリだったりして……

プラウザを閉じてください