実験創作
其の二

 パキーーン
 音ともいえない音が、感覚の中ではじける。
 メイの周囲に張り巡らされた結界を、彼女は満足げに眺めた。
「よ〜〜し♪今度は感づかれないわよね。今日はなんか大きな実験もあるらしいし、ごまかせるはず」
 先日、誰もこないと高を括っていた召喚実験に、保護者とその上司に乱入された少女は、前回の失敗点を踏まえて、昼間に作戦を敢行することとした、らしい。
(あの後は、保護者にこってりと説教された。ただ、その後の副産物として、高級ブティックから、自分が呼び寄せたものと、非常によく似た下着が数着送りつけられてきたのは、あのスチャラか魔導士の酔狂に違いない。異様にサイズが合っていたのが、少し不気味であった)
 床には既に魔方陣が固定され、彼女のもうひとつの悲願を達成させるべく、淡い魔力を放っている。
 召喚自体は成功したのだ、ただ、魔力の発動を勘付かれさえしなければ、あられもない姿を、二人の男に晒さずに済んだ。
 今回はそれを結界で覆い隠す。これなら外には漏れないはずである。
「これで、あの変態どもも気がつかないわよね」
 保護者は濡れ衣だと弁明したいところだろうが、見た限りは同罪である。
 だからこそ、今回は絶対知られてはならないのだ。
「さ〜て、さくさくっとやっちゃおう♪」
 揉み手をせんばかりに、期待に満ちた表情で、魔方陣に向き直る。
 ゆっくりと集中を高めながら、彼女は呪文を紡ぎはじめた。


「何だ・・・?」
 相変わらず本の谷間に生息している偏屈学者は、妙な感覚に眉を寄せた。
 それは極微かな、まるで羽で擦られるような感じがするもので、周囲の魔法均衡の、ほんのわずかなぶれのようだった。
 今日は長老たちが実験をすると聞いている。その影響だろうと、はじめは気にもとめなかったが、過敏な神経は、その中にあるどこか憶えのある波動を見逃さず、彼に警鐘を鳴らす。
「あいつ・・・また何かやっているのか?」
 眉間のしわを深くしながら、彼はゆっくりと立ち上がった。
 召喚実験は、自分ですら完成させていない未知の魔法である。
 まだ見習の彼女が、軽はずみに連発して良いものではない
 何を企んでいるにせよ、早く止めさせなければ、いつか大惨事を引き起こすだろう。
 そして、その責任は、自分にかかってくるのだ。
 彼女の為にも自分の為にも、無謀な行為は止めさせなければならない。
 偏屈学者は、渋々生息地を後にした。

「あれ〜〜?何にも起こらない・・・」
 落胆に肩を落とし、メイは、しん・・・と静まり返った部屋の中を見回した。
 魔法は安定した形で発動し、手応えも十分にあった。あれが失敗だとは思えないが、現に目的のものは現れない。
 少女は大きく息を吐いた。
 どうやら失敗してしまったらしい。
 こうなったら、もう一度魔法を発動させるしかない。
 だが、召喚魔法はかなりの魔力を必要とする。
 自分にとっては、乾坤一擲の大勝負だったのだ。果たしてもう一度するだけの力があるだろうか?
 しかし、しなければならない。
 彼女には日にちが無いのだから。
 意を決して、魔方陣に向き直るのと同時に、激しくドアが叩かれた。
「うきゃっ!!」
 集中を乱され、飛び上がる少女に、保護者の声が響いてくる。
「メイ、お前何をやっているんだ?ここを開けろ」
 前回の失敗を踏まえて、どうやらいきなり踏み込むのは止めているらしいが、遠慮会釈の無いドアの殴り方で、保護者がかなり苛立っている事は判る。
 メイはドアを睨みつけた。が、再びため息をついて肩を落とす。
 実験の失敗は、彼女の気力も奪ってしまっているらしい。


「開けりゃいいんでしょ。近所迷惑だからドア殴らないでよ」
 ぼやきつつドアを開けると、ずい、と保護者の仏頂面が突き出される。
 重箱の隅をつつくような、容赦の無い視線が、床の魔方陣に据えられ、ただでさえ深い眉間の皺が、さらに刻み付けられた。
「メイ。何度行ったら判る、生半可な魔法は使うな。遊び半分で如何こうできるようなモノじゃないんだぞ!」
 何時ものように頭ごなしに怒鳴りつけられ、悲願達成をかけた実験を遊びとまで言われたら、ただでさえ反発心の塊のような性格が黙っては居ない。
「遊びってのはなによ!あたしにとっちゃ死活問題なんだからねっ!」
 そう、あれが手に入らなかったら、また地獄の日々が続くのだ。
「キールなんかに、あたしがどれだけ苦労してるかなんて、わかりゃしないのよ!」
 あまりの失望に、涙まで滲ませて反論する。保護者はその姿にたじろいだ。
「メイ……どうしたんだ?」
 激昂する少女を宥めようと思わず手を伸ばす。
――――ポトン
 その手に何かが落ちてきた。
「?」
 とっさに受け止めて、掌中に収まった物体を見ると、小さな、薄い紙に包まれた、奇妙な物。
「何だこれ?」
「あ―――!!?」
 彼が首を傾げるのと、メイが悲鳴のような声をあげるのとが同時だった。
 さらに。
―――ポトン
―――ポトポト……ポトン
 彼の手の中にあるのと、同じようなものが、部屋中に撒き散らされていく。
「せ……成功してたんだ……」
 メイが、嬉しいのか呆気にとられているのか判別しかねる、弱々しい声で呟いた。ただし、その口元には笑みが浮かび、先ほどの激昂とは違う涙が、目頭に滲んでいる。
 明らかに感激しているようである。
 物体の落下はまだ続いている。元倉庫の、広い部屋を雪景色のように覆い尽くすと、最後にふわふわと何枚かの袋が落ちてきた。
 メイにだけ読めるその袋にかかれた文字には、『ウィスパースリム羽根付き徳用』と印刷されていた。
「そっかぁ……召喚の衝撃に、ビニール袋が耐え切れなかったのね……」
 それでも、大量に手に入った目的物に、彼女は震える手を差し伸べた。まるで、それが幻のように消えてしまうのを恐れるように……
 そしてひとつを手に取ると、その確かな感触を確かめつつ、そっと頬ずりをする。
――これだけあれば……1年は大丈夫だわ……さらば布と綿の日々。ほんっと気持ち悪かったんだからぁ―――
 そう、文明の恩恵を思いっきり享受して育った彼女には、生活習慣の違いは、苦闘以外の何物でもなかったのである。
 ただひたすら、感涙に咽ぶ保護下の少女の姿に、偏屈学者は説教の矛先を失った。
 どうやらこれは、少女にとって危険を冒してまで手に入れなければならない物だったらしい。
 これが何なのか、聞くのは後日でも良いかも知れない。
 我にも無く仏心を出して、彼はそっとドアを閉めた。

 数日後、物体の本来の用途を聞かれ、返答に困った少女から、インクの吸い取り紙のようなものだと誤魔化された保護者は、その抜群の吸収力に驚いたものである。

 だがしかし、彼女は判っているのだろうか?
 召喚魔法は、決して無から有を作り上げる、創造魔法ではないのである。
 それは、全て本来あるべきところから、彼女の手元に引き寄せられているだけなのだ。
 無料で。
 ブラとショーツのセットも、はじめに成功した乾電池も、数袋の徳用必需品も、全て、彼女の元の世界から、かっぱらわれてきたと言い切っていいだろう。
 彼女の数々の失敗は、小さな天罰といえるかもしれない。

END